クリティカル・シンキング(批判思考)のバックグラウンドとなるのが「哲学」である。そして、伊勢田(2005)は、哲学の勉強は思考スキルを身につけると指摘する。ここでいうクリティカル(批判)とは、否定的な評価という意味ではなく「ある意見を鵜呑みにせずよく吟味すること」である。つまり、議論の筋が通っているかをよく考えることである。また、伊勢田は、クリティカル・シンキングを「情報の送り手と受け手両方の共同作業の中で、社会において共有される情報の質を少しでも高めていくためのものの考え方」と定義している。
クリティカル・シンキングの主な対象となるのが「議論」である。伊勢田によれば、議論は「前提」「推論」「結論」からなる。つまり、議論には、主張(結論)があり、その主張の根拠として、理由となる主張(前提)があり、前提から推論によって、結論とのつながりをつくる(結論に導く)わけである。そのため、クリティカル・シンキングの基本は、「議論の明確化」「前提の検討」「推論の検討」に分けられるとする。前提も推論も検討して両方とも妥当だと判定されたなら、結論も妥当だと一応認めてよいということである。
議論を特定することは「相手の主張についてどういう前提からどんな推論で結論が導き出されているかをはっきりさせること」である。疑う習慣を持つことがクリティカル・シンキングでは重要だが、相手の主張を疑うためには、相手の主張をはっきりさせ、何を疑おうとしているのかを明確にしなければならない。議論の構造を押させるためのポイントとしては、まず結論を探すのが近道だと伊勢田はいう。そしてその理由(前提)として何が挙げられているのかを見るのである。
また「科学的事実」の妥当性を検討する場合には「反証可能性」が重要なポイントとなることを伊勢田は指摘する。反証可能性とは、「データと突き合わせることでその仮説が放棄されることがありうる」ことを意味する。つまり「どういう実験結果や観察結果が出たらこの仮説は放棄せざるをえない」という条件がはっきりしていることである。これがなければ、仮説そのものが科学的ではない。よって、仮説を立てるときには反証可能なかたちで仮説をたて、仮説をたてたらできる限り反証しようとするのが科学的思考の心得である。よって、仮説を立てたら、その反証条件(その仮説が正しいという条件では絶対に起こりえないこと)は何か、そして反証条件を満たすような証拠はないか考える習慣を持つのは非常に有用だ伊勢田は指摘する。
伊勢田によれば、議論の妥当性のチェックは、クリティカル・シンキングの分業体制の1つとして捉えることができる。論理学は前提の妥当性については基本的に口を出さない。例えば、演繹的な妥当性は、もっぱら推論に関する基準である。推論の妥当性をチェックするツールとして、三段論法をはじめ、その1つのタイプである「実践的三段論法」や「命題論理」や「述語論理」がある。