経済学とは何か

飯田(2012)は、経済学の思考には特徴的なパターン(悪く言えば非常に強いクセ)があるという。それは、経済学とは何かがわかると理解しやすい。


飯田によれば、経済学は、「希少な対象」について、個々の経済主体が「自身の主観的な満足度を最大化」するように行動(生産や取引)した結果としての経済活動・経済現象を取り扱う学問である。このような経済学的思考で前提となっているのが「(方法論的)個人主義・主観価値説」と「資源は希少である」いうことである。前者は「社会は個人の集まりだと捉え、個人の主観的な嗜好・判断を出発点に社会を捉える」という考え方であり、後者は、個人が満足度を最大化する行動には「制約条件」が伴うことを意味する。


つまり、経済学では、個人(経済主体)は予算制約の枠内で自らの効用を最大化するように行動すると考えるわけであり、そういう意味において、経済学は「制約付き最適化問題」だと考えてよいことを飯田は示唆する。ということは、制約付き最適化を解くにあたって、問題を数学で表現しておくとパターン化された方法で解を求めることができるため、数学は経済学においては「便利な表現ツール」なのだという。つまり、数学を用いることで表現がシンプルになるわけである。


経済主体として、消費者としての個人と生産者としての企業を考えるならば、個人は制約に基づいて主観的な満足度を最大化しようと行動し、企業は制約に基づいて利潤を最大化しようと行動する。その結果として導かれるのが、個別の需要関数(曲線)と供給関数(曲線)だと飯田はいう。そして、需要と供給が一致するように市場での価格と取引量が定まる。そしてその価格と取引量から市場均衡のパフォーマンスが決定するという。このことから、経済学の現代的な定義として「希少な資源の最適な配分を考える学問」という価値観と思考パターンが理解できるわけである。