なぜ世界史を勉強しなくてはいけないのか

私たちにとって、なぜ世界史を勉強することが大切なのか。津野田(2013)は、世界史を学ぶことは「私と私をとりまく国家と社会の関係はどのようなもので、それはいかにあるべきか」を考えることにつながると指摘する。つまり、世界史を学ぶことは自分を学ぶこと、そして自分をとりまくこの世界を学ぶことだというのである。


そういった視点において、大学入試の世界史論述問題は、世界史のダイナミズムを思考するうえで最高の題材だと津野田は指摘する。なぜならば、論述問題の解答を考えていけば、自然といまの国際社会の全貌が見えてくるからである。論述問題は、知識の量を問うために重箱の隅をつつくような些末な穴埋め問題や正誤判定問題とは違い、それぞれの歴史的な事実の持つ「意味」を重視し、知識の「質」を問うているように思うという。


実際、国立大学などの論述問題は、物事や出来事などの因果関係や意味内容などを論じさせるものが多くなっており、そのような歴史的知識や理解があると、現在の国際社会についても表面的なものでなく、深い部分で歴史的にとらえることができる。つまり、歴史を学ぶということは、過去を学ぶと同時に、現在を知るための基礎と基本を学んでいるのだという。


とりわけ津野田(2013)において焦点が当てられているのは「国民国家」という概念である。これは現代の国際社会を考えるうえでも重要なキーワードであろう。そして、この「国民国家」という概念を軸に、近世から近現代にかけて、「国民国家はどのようにしてつくられたのか」「いまも残る民族問題はなぜ生まれたか」「ファシズム政党が政権を握ることができたのはなぜか」「戦争が大規模化したのはなぜか」といったテーマを大学入試の論述問題を題材としながら解説している。