韓非子の統治理論

韓非子によれば、トップというのは権力の要の部分を握り、黙って組織ににらみをきかしているのが理想の姿なのだと守屋(2009)は説明する。中国の昔の聖天子である堯や舜でさえ、十分に成果をあげることができなかったが、凡庸な君主でも、賞罰の権限をしっかりと握って部下に望めば、やすやすと組織を掌握することができるのだというわけである。


このような韓非子の統治論の根底にある人間観というのは、「人間行動の基本にあるのは利益である」ということである。わかりやすい例をいえば、何か事件が起こったとき、それによって利益を受ける者がいれば、その者が首謀者だということである。事件を糾明する場合には、利害関係の違いに目を向ければよいのである。また韓非子は、君臣の結びつきでさえ「計」(計算、そろばん勘定)に他ならないという。君主と臣下(部下)は根本的に利害を異にしているのである。だから、臣下の忠誠に期待をかけてはいけないとする。


であるから、相手の利益になることをすれば、相手は寄ってくる。トップとしては、法を確立し、賞罰の運用をきちんとすることにより、臣下は利益を得るために一生懸命はたらくようになるというわけである。そのため、権限は決して部下に貸し与えてはならないともいう。韓非子の統治理論の要諦は「法」と「術」であるが、「術」とは、「法」を運用して部下をコントロールするためのノウハウである。例えば、君主が賞罰の2つのハンドルをしっかりと握って臣下を操縦することは「術」である。権限をしっかりと握って信賞必罰で部下に臨むということである。そのためには、勤務評定をしっかりと行うことや、好き嫌いの感情を表に出さないことも大切だという。


繰り返せば、トップは「法」を周知徹底させて組織を掌握し、自分はその上に立ってにらみをきかせているのがよい。「術」は人に見せるものではなく、秘密のうちに部下を操縦する。大所高所より目を配り、勘所を押さえておくことである。「法」と「術」を用いてこのような理想的な統治をおこなうためには、普段から人間を見る目を養っておくことが大切であり、あらかじめ危険を察知して、危ない目にあわないように手立てを講じなければならない。そこには、的確に深い読みができる洞察力が求められる。大局的な判断を見失わず、目標管理を怠らず、そして礼をわきまえることだというのである。