韓非子のマネジメント論

西川(2005)によれば、法家である韓非子のマネジメント論は「平均的人間が平均的人間をいかに効率よく支配するか」という、平均的人間のための支配の技術である。たまたま支配者が聖人であるときは、その人物の「賢」によって天下が治まるが、そのような聖人はまれにしか世の中に現れないため、凡人のための支配技術を説いたというわけである。


では、西川も指摘する韓非子のマネジメント論の要諦は何か。それは「術」と「法」の両方を用いることによるマネジメントである。「術」とは、君主が臣下を操るために心密かに用いる技術である。「法」とは、君主が人民を支配するために公開し厳しく施行する法律および法制度である。術を用いる場合には絶対に他人に悟られてはならず、法を用いる場合には明確で厳格であることが肝要である。この2つが有機的なつながりを見せながら運用されることが重要だというわけである。


西川によれば、術の秘訣は、アメとムチの両方を君主自身が使い分けることである。君主と臣下の関係は一言でいえば敵対関係である。よって、君主は術を用いて臣下を自在に操り権力を自分の手でしっかりと握ることが大切である。臣下を意のままに操るためにも、必ず君主自身の判断で二柄(恩賞と刑罰)を実施するのである。それにより臣下が法に背かないようにするということである。二柄(恩賞と刑罰)は、君主自身がしっかりと握り、たとえ1つでも臣下に手渡してはならない。


韓非子のマネジメント論の背景にある前提は、根源的なところで人間の行動を決めるのが「利」であり、「利」に拘束されて行動するいうことである。つまり、利益のあるところに、人間は欲望をかきたてられて行動する。慎到の書とも似た内容である「人間は富貴を追い求めるものである」ことをわきまえたうえで、二柄(恩賞と刑罰)をもちいて臣下を操り、臣下が法に背かないようにさせる、という考えもそれに基づいている。


「利」によって動く妻子や臣下に対する君主の備えは、的確な「術」の使用と厳格な「法」の運用以外にありえないというのが韓非子の考えなのである。ごくありふれた普通の君主であっても、「法」を整備し、賞罰の「二柄」を握り、「術」をめぐらすことによって、権勢「権力、勢い」を維持できれば、世の中はたやすく治まるのだという。