身体を張った仕事をしよう

見城・藤田(2011)は「圧倒的な努力」で「正面突破」を図る仕事論を展開している。そうすれば当然、傷めつけられ、七転八倒する。それでも闘い続ける。それを「憂鬱でなければ仕事でない」というタイトルで表現している。


見城・藤田によれば、努力をするのは自分、評価するのは他者である。「努力」とは、人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力、圧倒的な努力のことである。圧倒的努力は必ず実を結ぶ。しかし、自分が他人から評価されるのはすべて「結果」による。自分が陰でどれだけ努力をしようが、他人には関係ない。結果を見て「運がよかったね」と思われるかもしれない。けれどもあきらかに血の滲むような努力なくしてそのような結果は得られないであろう。


勝者になるにはどうすればよいのか。見城・藤田は、正面突破だという。いばらの道を一歩ずつ進むことで勝利に近づく。常に高い壁が立ちはだかるが、孤独になることも恐れず、正々堂々と身体を張ってぶつかっていく。そのプロセスで何度となく訪れる逆境こそ、自分を磨くチャンスであるという。くぐりぬけることで度量は格段と大きくなる。崖っぷちに立ち覚悟を決めるのである。


見城・藤田は、新興勢力が勝つためには、斬新で図抜けたことをしないといけないという。「極端」は、誰かに選んでもらう戦略の最大のキーワードだからである。極端であればこそ、突き抜けたオリジナリティを獲得できる。しかし、逆説的ではあるが、図抜けたことをしたいのなら「基本を極める」ことである。基礎を徹底的に学ぶということだ。ピカソランボーの例を出すまでもなくビジネス全般においても、基本を超えるには、格闘しながら基本を「極める」しかない。


そして、何か大きなことを成し遂げるためには、劇薬を手に入れることが重要であるという。毒にも薬にもならない人間は何も為すことができない。では薬がよいかというとそうともいえない。何かを激変させる力があるのは、薬ではなく毒だからである。ほとほどに安全な仕事ばかりしていては、永遠に劇薬を手に入れることはできない。身体を張り、リスクを負ってぶつかることで、その苦しみが身体にしみ込み、沈殿し、結晶化し、ほんの1かけらの劇薬を手に入れることができるのだと言う。