人生を振り返りたくなる年代

秋元(2006)は、中学校のクラス会に出席したエピソードをもとに、「人はある年代を境に人生を振り返りたくなるのだろう」と綴っている。子供のころの彼の担任は「それまで、クラス会なんかやったこともなかった卒業生たちから、急に、連絡が来るようになるのよ、四十歳くらいから」と言ったそうである。


クラス会のとき、秋元は思い出話のルールに気付いたという。思い出を語るときにそれが真実であるかどうかはどうでもいい。記憶の中のあやふやなジグゾーパズルが完成すればよい。誰かが話し始めた思い出話に相槌を打ちながら自分の思い出を付け加えるプロセスは、まるでほんのわずかばかりの積雪をかき集めて、無理やり作った東京の雪だるまのようだと秋元は言う。でもそれでよい。雪だるまを作っていることが楽しいのであって、完成した雪だるまの美しさを求めているわけではないからだという。


なぜ、四十歳を過ぎた頃から、過去を振り返りたくなるのか。秋元は「そこに自分がいたことを確かめたいからだ」という。人間は、忘れる動物である。忘れることによって、正気を保っているといってもいい。悲しみや苦しみを、忘却という浄化作用によってリセットできるからこそ、明日に向かって歩き出すことができるのだが、大切な記憶まで失ってしまうことになると秋元は言うのである。長い年月のうちに、自分すら、見失ってしまうことがあるために、ここに来るまでの足跡を確認したくなるのだと言う。だから、思い出話をするとき、一番楽しいのは、誰かがその時の自分について語ってくれた時だという。