現象学は人間の認識構造を「信憑構造」と捉える

竹田(2004)は、フッサールによって生み出された「現象学」のコア概念である「現象学的還元」という方法の本質的な意味を説明するさい、それは、認識問題を解明するための方法であり、そのために、人間の認識の構造を「信憑構造」として捉え、その構造の共通本質を取り出すための方法であると論じる。そしてこの方法は、現代において多様な世界観や世界像が生じ、「正しさ」についての信念対立が生じている状況を克服するための手がかりとなることを示唆する。


信念対立構図の例として、A,B,Cの3人が、それぞれ別個に正しいと思う世界観を持っているとしよう。これには、(1) A,B,Bの世界像のどれかが正しいとする思考(宗教的モデル)、(2) どれも間違っていて正しい考えは神のみが知るという思考(カント・モデル)、(3)正しい世界観など存在せず「強力な世界観」がるだけだとする思考(ニーチェ・モデル)があると竹田は言う。懐疑主義相対主義を含む現代思想は(3)のニーチェ・モデルに近づきつつあるが、それでは「普遍性」の概念が成立せず壊れてしまう。


竹田によれば、認識構造を「信憑構造」と見る現象学では、ニーチェの「客観世界などというものは存在しない」という考えを推し進めたものであるが、A,B,Cが各々の世界観に対して持っている「確信(信憑性)」は、けっして恣意的なものではなく、一定の構造的条件を持つと考える。そして、この「確信」を成立させる条件は、「現象学的還元」によって一定の割合で取り出せるというのである。つまり、どこかに正しい世界像が存在するという想定をいったん廃棄し(括弧に入れ)、すべての世界像を、形成条件によって成立する確信=信念であるとの発想を推し進めていくと、各人の世界像は、共通了解が成立している領域と、共通了解が成立しない領域に区分されることがわかる。


絶対的な真理は存在しないと考える(超越的視点を括弧に入れる)と、われわれが「真理」とか「客観」とか呼んでいるものは、万人が同じものとして認識=了解するもののことになる。そのような共通認識、共通了解の成立する領域が必ず存在し、そこでは科学や学問的知、精密な学などが成立するが、宗教的世界像や価値観に基礎づけられた共通了解が成立しない領域については、人間社会における宗教、思想の対立の源泉となるという。


現象的還元とは「一切の体験・経験を意識体験(経験)として見て、その万人にとっての共通構造(本質構造)を取り出すことだと竹田は簡潔に説明する。平たく言えば、ふつうの自然な考え方を「ひっくり返す」ことである。例えば、ふつうでは「(客観的な)事物世界が存在するから(原因)、わたしにはこう見える(結果)」と考えるが、このような客観的事物世界の存在を前提とするのを止め(エポケー)、「わたしにはこう見える(原因)。だから、このような事物世界があるのだと確信している(結果)」という思考にする。客観的な事物世界の確証など不可能だという立場から、なぜそのような確信(信念)が成立したのかという、確信成立(信念成立)の条件を解明していこうとするのである。


そうすることの目的は、前述のような認識問題を解明し、世界観、価値観の相互承認を促すことによって、異なった価値観、世界観の衝突や相克を克服することにあるのだと竹田はいう。