社会思想史を勉強しよう

現代は激動の時代であるゆえ、私たちの未来社会はいったいどうなるのか、方向性は定かではない。山脇(2009)は、私たち各自が、自分の生きる現代社会を理解し、未来社会を構想するために、さまざまな過去の思想の蓄積から糧を得ることが大切だと説く。つまり、社会思想史を学ぶことが重要だというのである。社会思想史とは「歴史的に形成された現代社会を思想というフィルターを通じてとらえ、未来を構想するための、過去の思想の蓄積との対話」であるという。言い換えるならば、「この現代社会が、過去とどのような意味で連続してあり、また、いかなる意味で断絶してあるのか」といった歴史的な視座から問うことである。


山脇によれば、社会思想とは、政治、経済、文化、宗教、歴史、自然などの多種多様な局面が織り成す社会のあり方と、それに対する人間のかかわり方について考える思想である。そのような意味での社会思想が、さまざまに交差し、ぶつかりあいながら展開するダイナミックな精神史こそが、社会思想史なのである。社会思想史を勉強するうえで不可欠なのは、「過去・現在・未来の次元を含む歴史のダイナミックな動きへのあくなき関心と、その関心を抱く自分が一体どのような歴史的状況に生きているかについて考える思考力や想像力」であるという。


では、現代のようなグローバル化のうねりの中で、どのようにポスト近代の社会思想史を描けばよいのだろうか。それにかんして山脇は、世界に影響を及ぼしてきたヨーロッパの啓蒙主義思想、とくに「文明の進歩」思想のプロジェクトを再検討し、批判的に乗り越えるヴィジョンを示すことだという。いま社会思想史に必要なことは、ヨーロッパ近代啓蒙思想のプロジェクトを、自然観、歴史観、文化観ないし宗教観、政治・経済体制にわたって再検討し、多元的なポスト近代の社会思想史への道を切り開くことであると論じるのである。


山脇によれば、ヨーロッパ近代啓蒙思想は、理性と技術の力によって自然を支配し、福祉の王国をつくるというベーコン的な世界観と、歴史を人間の解放のプロセスとしてとらえる進歩史観が影響力を持っていた。しかしその後、理性と技術の力による自然支配の思想は、文明の進歩のみならず、野蛮や破壊と結びつくことが明らかになってきた。人間理性に特権をあたえる人間観も、人間と高等動物との連続性を強調する進化論によって軌道修正を余儀なくされつつある。また、植民地解放を経て、ヨーロッパが文化の中心だと考えが説得力を失うようになった。したがって、あらためて自然と人間の関係、宗教と人間の関係、悪の問題などのテーマを社会思想史的に再考することが、未来社会を構想するためにも重要になってきた。


それと同時に、近代啓蒙思想の「正の遺産」を正当に評価し、ポスト国民国家的なグローバル社会とそれを支える公共的価値のヴィジョンを考えていくことも現代の緊急課題だという。例えば、人権の制度化はもはやヨーロッパ固有の思想ではなく、文化の多様性と両立する思想として展開されている。また、ヨーロッパ以外の地域で生まれた社会思想を正当に評価し、それらから学びあうという「比較社会思想」も必要だという。


山脇直司 2009「社会思想史を学ぶ」(ちくま新書)