上機嫌力を鍛える

斎藤(2006)は、円滑なコミュニケーションのための手段として「上機嫌」な状態を自分の「技」にすることを提唱している。不機嫌な人は場の空気をまずいものにしてしまう。ネガティブパワーを撒き散らしている。不機嫌な身体は淀んでいる。それに対し、上機嫌には周囲を高揚・発奮させる力がある。上機嫌な身体は柔らかく浮き立っている。斎藤は、上機嫌でいる技は、こころの運動能力だとも言う。訓練を続けると上機嫌の筋肉がついて、持続力、飛距離が出るようになる。


上機嫌の技を身につけるには、まずは身体を上機嫌モードにする必要があるという。例えば、目を見る、微笑む、頷く、相槌を打つ、といった身体的基本原則を身につけることである。また、人と一緒にいるときは、楽しい時間を過ごすようにお互いに努力することが大切で、そのために、自分と相手、自他ともに肯定できる「自他肯定力」を身につける。それには「ふっきる」ことである。例えば、現実に呑み込まれるままにせず、まずは事実として確定し、断言する。そして、想像力を駆使して物の捉え方を柔軟に保ち、能動的に上機嫌になる。さらに上級な技としては、ある種の客観性をもって自分を笑い飛ばしてみたり、自画自賛してみたりする。


子供っぽさも大切である。淀んでいる人には子供っぽさ、無邪気な躍動感がなく、生き生き感が失われているという。余計なこと、無駄なことを嫌うことが、生命力を弱めているのである。おしゃべりな人はたいてい上機嫌である。内容も脈絡もある話を上手にする話術を持っているのがよい。


悲惨なことがあっても、既に起きてしまったことには囚われず、未来に目を向け、柔軟な肯定力を発揮する。波乱万丈に満ちた人生でも上機嫌に走り抜けるわけである。


「気」に注目することも大切だと斎藤は指摘する。気分は身体の状態感とセットになっている。身体の状態感は場の雰囲気と侵食し合っている。だから、身体を、皮膚の内部にあるものでなく、空気に伝染していくような、外に広がっていくものとしてイメージしてみる。そうして「気」をよい状態に保ち、常に他の人と「気」が交流するように自分を持っていくことが大切である。