学問の模範「ユークリッド幾何学」

瀬山(2007)によれば、紀元前300年ごろにユークリッドによって書かれた「原論」は、長い間、人間が作り上げた学問の「模範」となってきた。その理由は、以下のような方法論(スタイル)による。


まず、誰もが納得のいく事実として、いくつかの公理をあげ、その公理から証明という手段によって得られる事実のみを定理とし、定理を公理の上に積み重ねて、全体を構成していくというスタイルである。どんな複雑な事象もいくつかの公理から導かれるわけであって、そこに至る論理に穴がない。であるから、実に客観的で厳密な学問の模範とされたのである。よって、多くの学問が、ユークリッド幾何学を手本として自らの体系を構築していったのである。


ちなみに瀬山は、作図にギリシアの3大問題を紹介し、その結論が「定規やコンパスを使って作図はできない」というかたちで証明できるまでに2000年以上の年月を費やしたと述べている。「〜できない」という部分を「証明」することがとても難しかったからであるが、それは図形という「モノ」を扱う証明ではなく、「作図できる、できない」という「コト」を扱う証明であったからである。そして、この問題の解決に活躍したのが「背理法」であるという。背理法の発明によって、数学に数多くの証明手段を提供できたと瀬山は説明している。


背理法は、証明したい命題をPとしたときに、Pでないと仮定することから始まる。ようするに、真実は、「P」か「Pでない」かのどちらかしかない。「Pでない」と仮定して論を進めたときに、それが矛盾に陥って破綻したら、それは「Pでない」という仮定が間違っていることになる。真実は「P]か「Pでない」のどちらかしかないのだから、「Pでない」が真実でないのならば、Pが真実だということになり、間接的にPが証明されるのである。


現代幾何学は「作図できるとはどういうコトか」「面積が等しいとはどういうコトか」というように、コトを主題とすることで離陸したのだと瀬山は指摘する。


瀬山士郎 2007「幾何物語―現代幾何学の不思議な世界」(ちくま学芸文庫)