制度設計論(制度設計は見える化の最終段階)

企業にとって、人事制度などの制度作りや制度の改革は重要な仕事である。しかし、多くの場合、制度が形骸化して機能しなかったり、制度を変えても効果がでなかったりする。


重要なのは、制度設計というのはあくまで経営施策の最後の可視化(見える化)段階であるということである。つまり、因果関係的に言えば、一番最後のステップになる。


例えば「従業員を大切にする経営」を実践するとするならば、想定する因果関係の一番最初のステップは、経営者が「従業員を大切にしよう」と思う強い理念である。この理念を実現するために、なんらかの具体的な施策やアクションが実行されるわけだが、はじめのうちは、それは構造化されたものではない。経営者がことあるごとに、従業員重視の理念を社員に語りかけるような行動から始まり、経営者の意志が管理者や一般社員にも浸透していくことによって、日々の仕事における従業員に対する扱い方などのように徐々に具体的な行動として広まっていくだろう。


ここまでくれば、ある程度、経営理念が具体的な行動として根付いてきていると言えるのだが、それの最終仕上げのようなものが、制度に落としこむことによって構造化・習慣化するということである。つまり、理念および実践が定着しても、場当たり的にそれを行なっていれば効率が悪く、漏れが生じたりするので、制度設計によってシステマチックにしていこうというわけである。


つまり、従業員を大切にする人事制度が出来上がる前には、すでにその経営理念から来る日常の行動が根付いていて、それが制度設計によって「見える化」「可視化」されるということなのだ。


しかし、この因果関係を軽視して、何らかの経営施策を導入するために「制度設計」から入ると失敗する。いま流行しているからとか、他社も導入し始めたからという理由で、慌てて制度設計に入り、その制度によって施策を実行しようとする。これでは本末転倒になってしまい、見栄えだけ、表向きだけの制度になってしまうのである。表面的にはいくらしっかりした制度を作っても、中身がないということである。


経営施策というのは、因果関係的には、理念→施策・行動→浸透・習慣化→制度化のようなステップで進んでいくのが理想であるわけであるが、従業員の知覚というのはその反対で、目に見える制度から入って、その背後にある意図は何なのかといったように、表面的な制度から奥に入っていく。つまり、従業員は、逆の因果関係で経営の真の意図を推測していくわけである。


よって、しっかりした制度ができていても、経営理念や日常的な行動にその意図が伴っていないと、それが従業員に漏れ伝わってしまい「結局見た目だけの問題で、本音はぜんぜん私たちのことを考えていないじゃないか」と思ってしまうことになるだろう。