コンサルティング業界の歴史


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ボストンコンサルティンググループが勝ち上がった理由
1987年、日本におけるコンサルティング業界

当時の日本における他の外資コンサルティングファームは、30人から60人といった規模であった。この規模というのは、欧米の外資系大手のクライアントの日本市場の調査プロジェクトでほそぼそと食べていきながら、あとは本社の赤字補填でなんとか現地組織を維持できる水準であって、多くのファームはなかなかその水準から抜け出すことができずにいる。

ナンバーワン企業の追随では勝ち目はない

「トップ企業の対抗馬」というコンセプトはとても重要である。実は、このような1強多弱型の市場は、長い目で見ると2強の争いに変貌していくことが経験則として知られているのである。
 日本では任天堂ソニーNTTドコモKDDI、イトーヨーカ堂とイオン、『少年ジャンプ』と『少年マガジン』、米国ならばコカ・コーラペプシといった例がそれにあてはまる。圧倒的な1強の一人勝ち市場に見えたものが、長い期間の中では2強の争いに変わっていくのだ。
なぜそのような現象が起きるのかというと、市場にはトップ企業を好む人と同じくらい、トップ企業を選びたくない人が存在するからである。1強多弱の市場において多弱から抜け出てトップ企業の対抗馬に名乗りを上げたい企業は、後者の人々の心に働きかけなければならない。

マッキンゼーの対抗馬としての「商品設計」

「論理を踏まえた上で、その枠組みを超えたクリエイティブな発想」「日本独特の視点」「顧客の組織風土の尊重」そして「顧客との対立点を侃々諤々の議論の末に昇華させていく粘り強いコミュニケーション力」――といったベネフィットが対抗馬にとっての最高の武器になる。
ボストンコンサルティングが選択したのはまさにこのような「商品設計」であった。ベタープロダクト戦略ではなく、完璧な差別化戦略と言ってよい。そしてこの戦略は、トップブランドとの取引を選択しない顧客のニーズに見事に適合したのだった。


こうして、1987年に1強多弱型だった日本の戦略系コンサルティングファーム市場は、1990年代の後半には2強型市場へと構造を変えていくことになった。