会社が内包する資本本能と組織本能

波頭・冨山(2011)は、会社が内包する2つの本能の相克もしくはパラドクスが経営の本質を象徴していると示唆する。その2つとは、資本の本能と組織の本能である。


そもそも会社は原義的にいえば資本が利益をあげるための仕組みである。つまり、世の中に経済的な価値を創出し、そこから利潤を得て、資本を拡大させるという、資本増殖、拡大再生産である。このような活動を、多数の人間からなる組織で行っている。よって、会社が持つ第一の本能は、利潤を追求する資本本能である。資本本能は、環境変化に適合し、顧客のニーズに適合し、儲かるビジネスに進出しようとする志向性を持っていると指摘する。


しかし、会社は同時にもう1つの(厄介な)本能を持っているという。それが、企業が人の集団、組織であるというところから来ている組織本能である。組織本能が求めるのは、自己増殖と変化の排除である。例えば、官僚組織は資本本能を持たず組織本能だけで動いているため、前例主義がはびこり、新しいことは拒みながらも年々増殖し膨張しようとすると波頭・冨山は指摘する。


こうして会社は、資本本能と組織本能が二重螺旋のように絡んで動いているという。資本本能が環境変化に合わせて事業分野や戦略スタイルを変えようと志向するのに、新しいことはやりたくないという組織本能が障害となって立ちはびこる。また、会社においては、資本が利潤を追求しようとすると人を使わなければならないため、資本本能と組織本能とは葛藤しているだけでなく相互依存もしている。このようなややこしい状況で舵取りを行うのが経営でありマネジメントであるというわけである。


資本本能と組織本能をとりわけ日本の文脈において別の言葉で言い換えるならば、戦略的・競争上の合理性と共同体の論理となる。戦略的な合理性を追求するならば、企業は生き残っていくためには大胆な事業構造の転換や必要となる能力に応じた人員の入れ替えが必要となる。しかし、共同体の論理・価値観からすると、社員はみな家族なのでクビにすることはできない。これはある意味、組織の生体的防衛反応ではあるのだが、共同体の論理を至高の価値観として経営をしていれば、共同体全員が滅んでしまうのである。


そこで、このような事態を回避し、企業変革を断行していく際に活躍するのが「平家・海軍・国際派」の行動力だと波頭・冨山は主張する。これは日本において主流になれない人々であり、農耕民族である日本で主流だったのは「源氏・陸軍・国内派」である。しかし上述のとおり、これらの主流派は、組織本能、共同体の論理に引っ張られ、組織を滅ぼしかねない。時代の転換点ではむしろ「平家・海軍・国際派」の出番だというのである。