哲学の仕事は概念をつくること

戸田山(2014)は、われわれが普段使っている概念の内容を分析し、概念の必要十分条件を定式化する「概念分析」は、分析哲学の主な方法だとしつつも、哲学の仕事はむしろ概念をつくること、すなわち「概念工学」だとと主張する。概念分析や概念定義は、理論構築のなかにヒトコマとして埋め込まれている。そして、理論の良さというのは、包括的でたくさんのことを説明できるか、他の理論と整合的かなどの点から評価される。良い理論ができれば、それによって、雑多な現象が統合的に説明されるようになるというわけである。よって、単に既存のわれわれの概念を分析するのではなく、より良い理論を構築するために新しい概念をつくる作業に従事するのが哲学の仕事だと表現するのがふさわしいだろうと論じる。


戸田山は、概念作りを生業とする哲学の目的は、煎じ詰めれば、人類の幸福な生存のためだと説く。幸福な生活をもたらしてくれるのは技術産品だけではなく「概念」も含まれるのだという。例えば、人類が最初から持っていたわけではない「権利」という「概念」を歴史のどこかで誰かが生み出し、それに意義を見いだした人々がいたからこそ、権利という概念がわれわれまでリレーされ、われわれの幸せを支えているといえる。誰かが、この概念を生み出すための思想的苦闘を放棄してしまっていたら、現在のような幸福な世界はなかっただろうということである。すなわち、概念も人工物であるから、より良い人工物を生み出すことで人類の生存に貢献するという意味では、哲学と工学は似ていると戸田山は言うのである。


よって、哲学は無用の用どころか、現実を何とか変えようとしている人々が哲学に取り組むことで、人類の生存にとんでもなく役に立っていると戸田山は主張する。また、自分の分野が歯がゆくてしかたがない、その根底を疑い、なんとかもっと面白い研究をやりたいともがく科学者、あるいは科学以外の研究者こそが、哲学を役立てることができるし、実際に役立ててきたのだと戸田山はいうのである。では、哲学的に考えるならば、どこから始めればよいのか。戸山田の言葉を借りれば、「まずは問いを小さく分けて、具体的にする。それを徹底的に考える。そこで得た洞察をできるかぎり一般化し抽象化する」ということになろう。