国民国家という幻想

現代における国家の多くは「ひとつの民族がつくったひとつの国」であり、これを「国民国家」という。私たちは、このような国家こそが本質的なものだと思いがちであるが、佐々木(2013)は、歴史的観点から見ても、この考え方は必ずしも一般的ではないことを指摘する。国民国家は17世紀のヨーロッパでできあがった考え方で、歴史の必然で生まれたものではなく、かつて辺境の地であったヨーロッパ地域が持っていたきわめて特殊的な性格からくるちょっと変わったシステムが、いろいろな偶然の積み重ねによってそのまま世界に普及してしまったものだというのである。そして、国民国家から始まった民主主義というのも、単なる幻想のもとに成り立っているだけなのかもしれないという。


では、国民国家ができてくる前はどのような様子だったのだろうか。佐々木によれば、古代の終わりから中世にかけてはいろいろな帝国が栄え、滅び、興亡を繰り返していたが、当時の世界システムとしては、「帝国は多民族国家であった」「帝国と帝国を結ぶ緩やかな交易ネットワークがあった」という2つの特徴があった。つまり、今のように「ひとつの民族がひとつの国」ではなく、複数の民族が集まってひとつの帝国のもとで暮らしていた。そして何千年ものあいだ、帝国が世界の基本システムであった。


帝国は領土を広げ、さまざまな民族を包んでいく国なので、ウチとソトを分ける境界が必要というわけではなかった。国民国家では民族意識がウチとソトをわける境界にもなっていることと対照的である。中世までは、科学技術も文化も進んでいたイスラムや中国などがあるユーラシア大陸が世界の中心であったが、15世紀ごろから、複合的な要因によって中世帝国の世界システムが衰退していったのだと佐々木は解説する。その一方で、周辺の辺鄙な土地で貧乏暮らしをしていたヨーロッパが台頭してきた。


ヨーロッパでは帝国が衰退した後、帝国がもはや不要であることを王族たちが実感し、小国が乱立したままの状態にして、同盟関係を結ぶなどバランスを保ったほうがよいという動きが出てきた。これがいまの「国際社会」の原型になったのだと佐々木は指摘する。このヨーロッパをモデルにした国際社会のあり方が、20世紀に入ると世界全体にいきわたり、ひとつの民族がひとつの国家をつくり、それらの国家が集まって国際社会を形成するといういまのようなシステムへと成長したいったわけである。


佐々木によれば、国民国家は「同じ国民」として団結して戦える国民兵によって戦争に強くなり、さらに、国民がひとつであるということを維持するために、ソトに敵をつくりたがった。国のウチとソトを厳密に分け、外敵を作って愛国心をあおり、それによって国民国家を維持するという仕組みである。ウチとしての国内では「自分たちのよりどころは自分たち自身だ」という考えのもとで民主主義を発展させた。さらに、植民地という「ソト」を作ることで、富を奪い、ウチである自国民を豊かにしようとした。そうやって侵略された植民地の側も、国民国家への熱狂にあおられていった。これが、19世紀末から20世紀にかけての世界のありさまであったと佐々木は解説する。