創造とは何か

赤祖父(2013)は「創造とはすでに存在する2つ、または、それ以上のものを統合すること」とし、創造とは無から有を生み出すことといった考え方を否定する。つまり、創造とは統合することだというのである。例えば、新製品についていえば、ハイブリッドカーにしても、携帯電話にしても、iPadにしても、それらは「2つまたはそれ以上の、すでに存在する製品を組み合わせること」ということになる。赤祖父は、創造の基本は学問も企業も同じであるという。


つまり、学問の創造も同じことである。つまり、学問の創造とは、多くの観測事実を独創的に組み合わせ、統合し、新しい理論体系を打ち立てることであると赤祖父はいうのである。そもそも学問とは新しい知識を創造することであり、科学史をひもとけばわかることだが、一般に「真理」といわれているものは、単にその時代の専門家の間で一致した論理にすぎないということである。この真理は時代とともに科学革命によってどんどん変わっていくわけである。


赤祖父が紹介する「科学研究の三段階」とは、第一段階として多くの観点から観測(または実験、調査)を十分に行い、第二段階で実験・観測事実を「統合」し、そこから物理、科学、生物学の基礎知識に基づき仮説を立て、第三段階としてその仮説を定量的に立証するというものである。この観測すること(第一段階)、定量すること(第三段階)といった客観的作業は、第二段階における統合のための要素であり、統合は極めて主観的であるが、統合こそが最も独創性を発揮できる場なのである。また、科学を進歩させるということは、観測や実験を基礎として、現在広く信じられている理論と合わないことを発見することだともいう。


新しい統合を通じた創造をしていくうえで重要なのが「反骨精神」だと赤祖父はいう。それは、今までの「真理」を信奉しているグループと熾烈な戦いを覚悟しなければならないからである。また、難問に直面した場合、必死になって考え、脳をサーチ(検索)モードにすることも大切だという。実際のところ、ほとんどの科学者は常に1つのパラダイムに属し、パラダイムの慣習、法則に束縛されている。そのため、異例、反例らしきものが発見された場合、それが本質的なものか、あるいは見かけ上のものかを区別する「勘」または「感覚」を養わなければならず、新しいパラダイムはその容認をめぐって必然的に闘争を呼ぶというわけである。科学革命は異端、異説から始まるのである。


さらに、異なる年齢や異なる組織など、異質なものを組み合わせたり、問題を大局的にとらえたりすることも重要だと赤祖父は指摘する。例えば、単に問題の原因を個々に調べるのではなく、統合的に考察すると、目に見えない巨大なシステムが見えてくるものだというのである。