世界史におけるヨーロッパ中心史観の弊害

羽田(2011)は、現行日本の世界史における最大の欠点は「ヨーロッパ中心史観」であると主張する。現在、日本で世界史を学べば、その結果としてほとんど自動的に、ヨーロッパ(あるいは欧米)は特別であり、世界で最も優れていると信じてしまう仕組みになっているのだという。


羽田の分析によれば、学習指導要領で規定されるような世界史の大きな枠組みは、次のようになっている。まず、世界各地に独自の特徴をもった地域世界が形成され、それが時とともに次第に相互の交わりと結びつきを深め、再編され変容をとげていく。19世紀になるとその中から、国民形成を進め工業化したヨーロッパ世界が抜け出し、地球上の各地に進出することによって世界の構造化と各地の社会変容が進み、現代社会が成立したというものである。


つまり、現行の世界史は西洋を軸とする世界史であり、ヨーロッパないしは西洋が近代を創造して先に進み、アジアがその影響を受けて後に続き、その結果として世界全体の一体化が進んだというかたちで世界史の流れが捉えられているのだと羽田は指摘するのである。ここにある前提は、世界は異なった複数の部分から形成されており、それぞれが異なった歴史を持っているのであるが、そのうちヨーロッパ文明世界とそこから生まれた諸国家が他よりも優位にあり、実質的に世界史を動かしてきたということである。


そのため、「欧米と比べて日本は○年遅れている」とか「欧米を見習い、欧米に追いつかねばならない」とか「日本が鎖国をしている間に欧米が先に進んでしまった」という類の論説を自然に受け入れてしまうのだと羽田は示唆する。


その他にも、現代日本の世界史は「日本から見た」「日本人のための」世界史であり、日本と世界とは異なるという暗黙の前提のもとで、その区別や違いを強調する内容になっているという。そもそも、歴史というのは、現実を変え、人々に未来を指し示す力があると羽田は言う。例えば、戦前の日本における「皇国史観」が戦争へと日本を動かしたに違いないだろうし、戦後の「ヨーロッパ中心史観」は、日本を後進的な国と位置づけ、西洋へのキャッチアップを志向するようになった点で、日本の未来を指し示し、動かしてきたといえるという。しかし、このような世界史は、グローバル化が進み、ますます一体化が進む現代世界においては、時代にそぐわなくなってしまっているのだと羽田は主張するのである。