民主主義国家では、複数の政党が政策論争を行い、国民に最も支持される政党が選ばれるというプロセスが存在する。しかしながら社会主義国家では、ほとんどの場合一党独裁となる。これについて、竹田(2004)は、歴史が証明してきたように、社会主義国家は、必然的に権力闘争を勝ち抜いた特定の党派の専制あるいは独裁政権となるメカニズムを内包していることを示唆する。
竹田によれば、そもそも、社会主義国家の拠り所となったマルクス主義は、「近代の危機」を克服するための「希望の星」として誕生した。近代社会は個々人の「自由」を確保するものであり、それを経済制度として支えたのが自由市場というシステムであったわけだが、資本主義経済は万人を自由な人格として「平等」にするどころか、貧富の格差、資本家と労働者、金持ちと貧乏といった階層対立を生み、新しい種類の大きな支配を生み出してしまった。これを制御できなければ人間性の本質を解放できないと考えるのが「近代の危機」である。
それを克服する手段として、マルクス主義は「絶対自由」の原理を「絶対平等」の原理に置き換えるという新しい政治原理を構想した。自由競争と私的所有を禁止し、富を社会的に再配分する以外にないという考え方に立った。これを実行するためにはいったん解放された「自由」を禁止せねばならないが、そのためには強大な権力が必要である。そして、社会主義は、強大な国家権力を創り上げることでそれを実行しようとしたのである。
そのような国家権力の根拠は「このような政策こそ万人を幸せにするはずだ」という政治的理想にすぎなかった。社会主義はあくまで理論に基づくもので、その有効性が実証されたわけではない。だから実験してみないと本当に正しいのかどうかわからない。しかし、先述のように、社会主義を実行するためには強大な権力が必要である。したがって「いまは万人が賛成しなくても、いずれそのことが実証されて人々はこれに賛成するはずだ」という信念を持った人間が前衛党を作り独裁が正当化されたのである。つまり、権力の正当性は原理的に実証されることなく、あくまで理念に基づいた「中世的な教義権力」に近い。そのため、イデオロギーの違いによる権力闘争を勝ち抜いた特定の党派の専制、あるいは独裁政権となるというのである。