「善悪」と「損得」の人事論2

人間には「善悪」と「損得」の2つの行動動機があるわけだが、もし、ある行為の選択が「善・得」か「悪・損」からどちらかを選ぶ場合であれば答えは簡単であり問題はない。問題なのは、行為の選択が「善・損」か「悪・得」というように、善悪と損得が相反している場合である。この相反度合いが極端であるならば、そういった状況を作り出してしまうこと自体に問題があるが、日々のオペレーションにおいては、多少なりとも、この組み合わせが存在するだろう。本当は良くないことだが、そのほうが自分にとっては得だから(損しないから)という理由で行動してしまう。


そこで、「善悪」よりも「損得」基準で行動しがちな社員を抱えている場合には、あるいは損得で動くことを前提とする組織風土の中では、社員が「悪・得」の行為を選択し、それが企業不祥事や事故などにつながっていくことを防ぐために、企業は規則や罰則で社員の行動を縛ることになる。それは、「悪・得」の選択肢を、それを選択したら罰を受けるという意味で、「悪・損」の選択肢に変えるマジックである。これによって、もともとは「善・損」であった選択肢が、相対的に「善・得」になるので、社員はそちらを選ぶというわけだ。


しかし、そのようにして問題をつぶしていっても、いたちごっこのように、次から次へと「悪・得」の選択肢は出てきてしまうものだ。だから、どこかで漏れが出てしまい、ちょっとしたことでも「悪・得」の選択をする社員によって、結果的に企業にとって良くない結果をもたらす可能性が高まる。


「損得」よりも「善悪」が優先する社員が多い会社、そのような風土がある会社の場合は、起こりうる問題は、社員が善悪判断を間違える場合であろう。良かれと思ってやったことが実は間違っていた(良くないことであった)という場合である。こちらも、企業の不祥事や事故につながる可能性がある。何が良くて何が悪いかについては、すべてのケースについて定義づけることは不可能であるので、もっともよりどころとすべき行動原理・行動規範をさだめ、後はケース・バイ・ケースで、その行動規範と矛盾がないか、原理から演繹的に導かれる行動なのか、を選択の基準とすることになろう。そのためには、原点もしくはバイブルともいうべき企業理念・企業哲学が正しく、かつ社員に徹底されなければならないのであろう。