キャリア論の本質3


キャリア論の本質1
http://d.hatena.ne.jp/sekiguchizemi/20060530
キャリア論の本質2
http://d.hatena.ne.jp/sekiguchizemi/20060607


キャリア論の本質1で、「生き抜く」ということが、キャリア論、処世術の1つのキーワードであると書いたわけだが、日本人が失いつつあるのが、ハングリー精神であり、反骨精神であり、闘争心ではなかろうか。戦後の焼け野原から立ち上がらんとする時期には、多くの日本人がこのような精神を持っていたに違いないだろう。それこそが、復興の原動力であったに違いない。


しかし、現在、日本は勝ち組になってしまった。というか、いまだに勝ち組であるかのように錯覚(妄想)している状態になっている。勝ち組になるということは、守りに入るということである。守りに入るということは、保守的になるということであり、リスクを犯さないということである。まあまあの会社で働いているならば、そこそこの暮らしができているならば、それが維持できるのであればよしとしよう、という考え方に陥る。あえて変に動いて、今の暮らしを失うのは怖い、ということになる。勝ち組になれば保守的になるのは、ノーベル賞学者カーネマンのプロスペクト理論でも確認されている。


逆にいうならば、負け組みになれば(自分が負け組みであると思っていれば)、人はリスクを負うようになる。イチかバチかの勝負に出ようとする。もちろん、そのようなリスキーな行動に出ることが常に良いということではない。しかし、保守的過ぎて縮こまっている状態においては、物事の見方のフレームを、大きく「負け組状態」にシフトさせてあげることこそが必要であろう。失うものがあるからこそ、保守的になり、縮こまってしまうのである。もう失うものが何もなければ、どん底の状態にあれば、思い切った手に出ることができるのである。