アメリカ大学院博士課程留学

石倉先生のインタビュー記事

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斎藤 上智大学を卒業された後、フリーの通訳者、翻訳者として活躍されていたとお聞きしていますが。
石倉 そうですね。今で言うフリーターをずっとやっていました。

そんな時、そのハーバードビジネススクールの先生と一緒にご飯を食べる機会があって自分のキャリアの将来について相談しました。「何に興味を持っているのか」と聞かれて、「簡単に言えば金儲け、ビジネスに興味がある」と答えました。「それではビジネススクールに行けばいいじゃない」と言われたのです。えっ?という感じでした。当時はビジネススクールなんて全然知りませんでしたし、大学院に進む人も少なかったので、まったく考えてもいなかったのです。
 そうしたら「ちょっと行ってみて、駄目だったら帰ってきてまたこの仕事をやればいいじゃないか」といわれました。このコメントはかなり説得力があって、私も「それもそうね」と思ったのです。この話がそこで終わっていればそれまでだったのですけれども、その先生がアメリカに帰国後、私がお礼状を出したところ、手紙をくださって、「ビジネススクールの中でもいろいろあるので、貴方の希望があれば、学校の特色やどういうところへ行けばいいかを教えてあげる。応募書類も原稿を書いたら見てあげる。推薦状が必要なら私が書いてあげる」と言ってくださったのです。

最初から日本企業に勤める気はありませんでしたから、外資系企業で日本でもオペレーションをやっている企業にかなり面接に行きました。実際に数社から、日本支社のアシスタント・ツー・プレジデント(社長室、社長補佐)というポジションで来ないかと言っていただきました。このポジションは、MBAをとった後すぐつく仕事としては、会社全般を見られるという意味で良いのですが、日本支社の場合、日本人女性、30歳近い私がその地位についても、十分な成果があげられそうにないと思いました。MBAとかいうものを持った、海のものとも山のものともわからないやつが、トップに近い良い地位で来た、どうもトップや本社と話が通じるらしいというのは、日本支社で今まで仕事をしている人々から見ると鼻持ちならないやつで、当事者には最悪のパターンです。ですから、日本支社から仕事をはじめるのはあまり良くないかなと思いました。それでグローバル企業の日本以外の支社から仕事をはじめることも考えました。
 同時にハーバード大学のドクターのプログラムにもアプライしていました。
結局、面接した企業からいくつか仕事をいただいたのですが、ハーバードからも合格という返事が来たのです。ハーバードは非常にプライドが高いところだから、ここで断ったらもう一生ないだろうと思って(笑)。

また、本当に博士課程でいいのかな、やっていけるのかなという疑問も心の底にありました。博士課程は、MBAと違って、研究や教育が中心です。文献を良く読み、それを自分なりに統合し、新しい仮説を作ってはそれを検証し、新しい理論やモデル、フレームワークを作り上げていくという活動が中心です。私は実務のマネジャーを育成することが目的であるMBAプログラムは自分に向いていると思ったのですが、DBAのプログラムで要求される膨大な量の学術的な文献を読むとか、学問的にエレガントな理論を作りあげることに喜びを感じるということはあまりありませんでしたし、向いているかには疑問を持っていました。

博士論文は、心を決めてそれだけに没頭しないとなかなか終わらないのです。博士論文が完成する前に、大学で教え始めたり、企業に勤めたり他のことをやりだすと、絶対に終わらなくなります。論文だけに集中し、すべてのエネルギーを論文完成にかけ、生活の優先順位をそれに絞る、他はすべて後回しにしないと、どんなに優れた人でもなかなか終わらないのです。私もそこが良くわかっていないで何となく研究を続けていた期間があったのですが、すべてを賭けないとできないことがやっとわかり、それで生活スタイルも大きく変えたのです。

就職のことでお会いしたわけではなかったのですが、お会いした時に非常にインパクトがあって、この人はすごい人だという印象を持ちました。大前さんとお会いしたすぐ後、こういう人と一緒に仕事をする機会を求めないと、たぶん一生後悔すると思ったのです。そこですぐに電話をして、「先ほどはありがとうございました、ところで博士論文が完成したら、マッキンゼーに入りたいのですけれども」とお話ししたのです。そうしたら、論文が終わってまだ興味があるならば手紙をください、と言われてその場は終わりました。その後手紙を出したり、マッキンゼーの東京支社の人がボストンに来るときにはお会いしたりしていたのです。
 そうして、半年か1年した頃でしょうか、噂で、大前さんが「石倉というやつはもう駄目だ」と言っているという話を聞いたのです(笑)。これは大変とまたすぐ電話をしたのです(笑)。そうしたらたまたまそのときもいらして。

マッキンゼーに就職した時の経緯を考えると、タイミングの重要性、機会が開かれている時期の短さを感じます。私の専門分野である経営戦略の分野でも、業界の動向や自社の状況の機が熟して、ほんの短期間、あるユニークな戦略を実施する機会が開かれる。その機会を『窓』があいているという表現を用いて、ストラテジック・ウインドウ(戦略の窓)と言います。
 キャリア戦略を考える上でも、いろいろ新しい方向を目指す戦略の窓という機会が開いている期間は短いのです。戦略の窓というか機会・チャンスは多分誰の前も同じように通るのだけれども、そのときにすぐつかむかどうか、が鍵となります。チャンスは待っていてくれないので、その時にすぐつかまないと結局素晴らしい機会を逸することになります。企業の戦略も自分のキャリアも意思決定にはタイミングが重要ということですね。この点は、強く意識しています。

仕事がハードなもうひとつの理由は、限りなく努力するという姿勢のためです。マッキンゼー社では、常により良いものがあるのではないかという意識が皆強く、「こんな所でいいや」となかなか言わないのです。より良いものがあるのではないか、と限りなくやる姿勢が強い人たちの集団だから、もちろん素晴らしいことなのですが、ずっとやるとなるとちょっと疲れてしまいますね。他のことが犠牲になります。物理的にも大変だし、精神的にも大変な仕事だから、よほどタフでないとできないですね。




直接辞めるきっかけになったのは、夫が大病をしたことです。それと私がマッキンゼーでいつも一緒に仕事をやっていた仲間が大病をしたのです。数ヶ月の間に、私にとって大事な二人が死にかけたという経験が、私のキャリアを考える上で大きなきっかけになりました。

私は経営コンサルタントをしていたので、学者としての実績は全然ないのに、最初から教授でとはなかなか考えられないのです。コンサルタント守秘義務がありますから、外へ公表できるような論文や本もないわけです。しかし、たまたま、夫が病気で入院し、その後自宅で療養している間に、私は本の原稿を書いていたのです。出版社も決まり、全体の目次もできていて、ゲラもかなり完成していました。そこで、大学にもまだ本は出していないが、これがもうすぐ出ますとお見せしたら、それも多分評価していただけたのだと思います。この点でもタイミングが良く、ラッキーでした。

コンサルティング業界から大学に移って、びっくりすることが最初はたくさんありました。コンサルティング業界は、集中力の勝負ですし、仕事の密度が非常に高く、スピードが重要です。こういう会社は常に時間に追われているので、コピーをしてくれる人さえ急いで成果を出すという意識が強く、無理なことでも何とかやってくれるのです。大学ではそういう感じはないし、コピーをお願いするのでも1週間のリードタイムが必要だとか、今までやったことがないことをやる場合、いろいろなところにお伺いを立てなければいけないとか、規則が多く、新しいことはほとんどできないとか、たくさんありましたね。
 でも、一見規則でがんじがらめになっていて何もできないように見えますが、その気さえあれば、実はやれることはたくさんあります。大学という組織でも、指揮命令系統がどうだとか、実際の意思決定はどうなされるかを見極めれば、そんなに面倒な話ではないのです。会社でも組織ではどこでもそうだと思います。

一方的に教えるというよりも、常に新しいことを学ぶ、一緒に新しい課題を考えるということが好きなのですね。私のクラスは、ほとんどがケーススタディー、ディスカッション、ロールプレイなどですし、グループプロジェクトも多いです。ですから教えるのが好きといっても、私の持つ知識を講義することが好きというのではありません。格好良く言えば、私も常に新しいことをやって、それがおもしろいということが学生の皆にわかってもらえればいいのです。ですから毎年やり方を変えます。




同じように、勉強すべきだ、そうすれば人生がおもしろくなる、などとただお説教ぽく言うよりは、自分自身が常に新しいことを学び、考え、それが面白いと思ってやっていれば、それを見た人は学ぶことのおもしろさを実感としてわかると思います。
 ですから、私は毎年教えるコースでも、自分はこれが面白い、このテーマが興味深いと思っていることを必ず加えます。そうしないと受講者の反応も悪いような気がします。




大学院で本当にそれが得られるかどうかはわかりませんが、ほとんどが知的刺激を求めて来ていると言います。刺激のある「場」やネットワークを求めているという感じです。同じ大学院で学んだ同窓の仲間は、一つのネットワークになり、卒業した後もネットワークは続きます。

インタビューより抜粋

  • 自分しかやっていないことを書く博士論文は、ものすごく孤独な作業。それを乗り越えて初めてDBAが取得できる。
  • チャンスは誰の前も同じように通るけれども、ずっといないから、すぐに捕まえないと逃げてしまう。
  • 戦略の機会が開いている期間は短い
  • より良いものがあると信じて限りなく努力する