社会人大学院

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大学院受験体験記

Z会入会案内に掲載

国際経営学を学ぶために大学院の受験を決めたとき、社会人になってからもう4年近くたとうとしていました。大学卒業後、私は民間のシンクタンクに就職し、経営コンサルティングの仕事をすることになりました。これは多くの人が経験することでしょうが、入社1〜2年目は、いろいろと覚えることが多く、自分が急成長していることを肌で感じる時期でした。しかし、入社3〜4年目になってくると、仕事のやり方もある程度わかってくると同時に、学ぶこともだんだんと少なくなり、成長が鈍ってきたと感じた時期でした。そういった中で、職場とは別の場で自分が成長する機会を見つけたいという欲望に駆られました。また、社会人になって以来「キャンパスライフをもう一度送りたい」という気持ちも持っていました。いざ就職して忙しい毎日を過ごしていると「大学で学ぶということはなんて贅沢なことだったのだろう」ということを、身を持って感じたからです。経営コンサルティングという仕事は非常にやりがいがある仕事なので、できればこのまま続けたい。しかし、また新たに学ぶ場を見つけたいし、もう一度キャンパスライフを送ってみたい。そういう欲張った望みとマッチしたのが、社会人大学院の存在でした。


いろいろな資料を取り寄せ、学習内容、仕事との両立の可能性、キャンパスと職場の距離など、様々な要素を考慮した結果、都心にキャンパスがある青山学院大学の社会人大学院を受験することにしました。しかも、私が受験した国際政治経済学研究科・国際ビジネス専攻は、将来は国際的なキャリアを歩みたいという私の希望ともマッチしていました。


実際に受験を決めたのは秋くらいです。まず青山のキャンパスに出向き、募集要項と入試の過去問を手に入れました。入試は、必要書類(志望動機および研究計画書を含む)提出後、一次が筆記(英語および専門)、二次が面接でした。英語は普段からNHKの英会話放送を聴いたりして勉強していましたし、専門科目は経営コンサルティングの仕事をしていることもあって、ある程度自信がありました。また過去問があったため、どういった問題がでるかを予想できたことが、受験準備の効率を高めました。重要なのは志望動機と研究計画書だと思ったので、これについては、教授陣に対してアピーリングな内容になるよう、何度も書き直して完成させました。多少誇張した表現も用いて、自分がいかに大学院で学ぶにふさわしい人物かを強調するように仕上げました。


一次試験では大勢の受験者がいましたが、二次の面接の段階でかなり絞られていました(定員より若干多い程度)。筆記である程度足切りされ、その後、志望動機や研究計画書によって人数が絞られたのだと思います。面接では仕事との両立が本当に可能なのかという点を主に聞かれましたが、印象としてはほぼ入学を確認するかのような内容でした。


このような経過を経て、晴れて合格することができたわけですが、次に問題だったのは、会社に大学院通学をどう説明するかということでした。というのは、大学院受験は会社には内緒だったからです。とりあえず「実は社会人大学院を試しに受験したところ、合格してしまいました。せっかく合格したので是非行きたいと思っているのですが」と説明しました。やはり最初は驚かれましたが、結局は通学の許しが出て、会社の同僚も仕事と勉強の両立を励ましてくれました。


大学院生活で、とても有意義だったのは、時間が2倍になったと感じたことです。大学院に通っているからといって、仕事の量が減るわけではありません。しかし平日の夜と土曜の終日をフル活用して授業を取り、さらに空いた時間に予習復習をこなさなければなりません。これまで以上に時間の使い方を工夫して生活の無駄を省き、なんとか仕事と勉強の両方をこなすことが求められました。その結果として、非常に効率的なタイム・マネジメントができたと思います。


次に、多くの仲間と出会えたことです。特に当時海外経験がなかった私にとっては、海外赴任経験者や帰国子女、海外からの留学生など、多くの国際性を備えた人達と出会えたのは非常に有意義でした。また仕事をしながら通学するという同じような境遇にいる仲間同士、お互いに励まし合うことができました。また、仲間と一緒にグループプロジェクトをやったり、授業が終わったあとに軽く飲みにいって語り合ったり、さらに土日を使って熱海に合宿に行ったりしたことは、本当に楽しいものでした。仕事と勉強の両立は、1人ではおそらく続かなかったでしょう。


さらに、2年間の大学院生活を通じて、先生方ともよい関係を築けたことも大きな成果です。今もこの関係は続いています。現在は海外の大学院の博士課程で勉強を続けていますが、それも恩師のアドバイスがあってからこそ、決意することができました。あのとき社会人大学院への受験を決意していなかったら、今の自分はないでしょう。


(西暦2000年記す)