デジタル革命がもたらすポスト人間社会

現代はデジタル革命が進行している。石田(2020)は、自身が構築を進める「新記号論」の立場から、デジタル革命が進むことにより、アナログ的な認識を担う意識的主体としての「人間」が、デジタルな記号を演算処理する計算論的主体である「ポスト人間」に席を譲ろうとしているのだと指摘する。つまり、人間たちの生がサイバースペースの計算論的プロセスの中に組み込まれ(人間がヴァーチャル化されたうえで記号列に書き換えられ)、自らの分身として「ヴァーチャルな主体」(計算論的にシミュレートされた人間の意識)を影のように従えて生きるようになるというのである。どういうことなのか、もう少しかみ砕いて理解してみよう。

 

デジタル技術やそれによって可能となったサイバースペースの特徴は、イメージ、テキスト、音声などあらゆるものがコンピュータを通して入力されると、いったん二進法の人工記号列に書き換えられたうえで高速演算の対象となり、記号として合成されるところにあることを石田は示唆する。そういった意味で、サイバースペースは記号からのみ成る「記号空間」といってもよい。それまでアナログ的にしか処理できなかったものを含め、世界のデータのすべてがデジタル技術を通して0か1に書き換えられるようになった。ということは、すべてのデータが数学的に演算可能になるということでもある。しかもそれは人間が認識できないほど高速に行われ、さまざまな記号が合成可能となる。いってみれば、デジタル技術は、文字であろうと、イメージであろうと、音声であろうと、あらゆる種類の記号を一括して処理し、全世界の人々に一瞬のうちに伝え、それらの記号を自在に蓄積・変形・合成する技術なのである。

 

つまり、石田によれば、コンピュータによって媒介された人工の記号空間(=サイバースペース)は、世界のすべての事象を記号として捉え、記号操作によってすべてを扱う。このようなデジタルな記号は、二進法指数による原理に基づいた記号であり、例えばアナログ記号が指し示すような現実の「指向対象」との結びつきを失い、記号のシステムとの関係においてのみ定義され、純粋に数学的に定義された形式的差異のシステムによって生成されるものとなる。アナログ記号(アナロジック[類似している]記号)の場合、類似性の関係や接触関係など、なんらかの結びつきにおいて指向対象と関連づけられている限りにおいて成立する。一方、デジタル記号の場合、記号自身の固有な法則性のみに基づいて成立するわけである。

 

サイバースペースは、宇宙の事象のすべてをデジタルな人工記号列に変換したうえで、人間に読み取ることが可能な自然記号を生成することによって生み出されている。つまり、コンピュータを通してサイバースペースに入力されたどのような記号も、いったん対象との参照関係、書き手や話し手との指標的な結びつきから切り離されて、潜勢的な変形可能性の中に還元される。入力された記号自体が、人工記号列となってヴァーチャル化する。人工的に合成された記号は、今度は、合成された自然記号として、指向対象を人工的につくりだすことになる。つまり、すべての色やかたちは、二進法の人工記号列によって記述可能となり、どのような色やかたちも生成できるようになる。その結果、どこにもいない人物の顔、存在しない文字、誰のものでもないテキスト、存在しない声、誰のものでもない語りなどを、人工的に合成された記号によって生成することができるようになったと石田は解説する。アナログ記号の世界では、指向対象すなわち「現実」として存在したものは、デジタル技術が可能にする自在な記号の合成によってシミュレートされるものへと位相を変えていくのである。

 

では、これまで見てきたようなデジタル技術やサイバースペースの進展とともに生きる人間はどのように変容していくのか。石田によれば、サイバースペースでは空間が現実空間とは異なった成立をしており、ユーザーの存在も、分身や化身(アヴァター)として組織されることが可能であり、身体感覚さえもが合成されうる。現実空間におけるユーザーの「いま、ここ」が、インターフェースを通してサイバースペースのどこでもない場所に接続し、感覚と記号を生み出す超高速度の演算によって、人間にとっての空間や時間、身体、感覚、自己像までも情報技術によって大幅に書き換えられる。つまり、ユーザーの精神も、計算論的プロセスと相同化し、身体をヴァーチャル・リアリティの経験と直接リンクされる。デジタル技術による人工空間に、人間の精神と身体がともに没入していくわけである。

 

石田は、デジタル技術やサイバースペースの進展によって、「人間」という形象において統合されていた世界の経験とそれに意味を与える表象作用との関係が、もはや「人間」という統一体を経由しなくなっているのではないかという。「人間」という世界の経験の統合形式が変わり、人間が働きかける経験の領域であった自然、経験の源としての生命が、プログラムに書き換えられる。事物や現象は次々とヴァーチャルな計算論的空間の中に転位され、人間のアヴァター化が進み、デジタルな記号列を演算処理する計算論的主体である「ポスト人間」を生き始めているのではないかというのである。

文献

石田英敬 2020「記号論講義 ――日常生活批判のためのレッスン」(ちくま学芸文庫)