ぼんやりと時間を過ごすことの善悪

「人生=時間」と考えるならば、自分にとって時間がいかに大切なものかが分かる。人生という時間は有限で、使ってしまった分は二度と戻ってこないからだ。とくに若いうちは、人生も時間も永遠にあるという錯覚に支配されているが、自分の人生の終わりを意識するようになると、なおさら時間の大切さが身にしみてくるものである。時間を最大限有意義に使えれば、有意義な人生を生きていることになるし、時間を無駄に使えば、人生を無駄にしていることにほかならない。だが、時間の有意義な使い方というのには絶対的な基準はなく、有意義かどうかは主観的に決まる。


例えば、何もしないで「ぼんやりとしている時間」を考えてみよう。この状態のときに「今自分は何も生産的なことをしていない」「時間を有効に使っていない」「時間の無駄遣いをしている」と思えば、それは本当に時間を無駄に使ったことになってしまう。けれどもそのとき、「こうしてぼんやりとできるのはなんて贅沢なことなんだろう。生きていてよかったとつくづく思う」「こうした至福のひとときをもう少し味わっていたい」と、しみじみとそのぼんやりとした時間を幸福感をもって過ごすことができるなら、それはもっとも有意義に時間を使っている、すなわち有意義な人生を過ごしている瞬間だということになるだろう。