国語教育は道徳教育

石原(2008)によると、中学入試国語の小説問題では「文学的には答が決められないのに、道徳的な観点や常識的な観点から読んだときにだけ答が1つに絞れる」ような問題がある。しかも、こういう設問で点差が開く。小説問題で安定的に高得点を取れる子供は、「世間の常識はこんなものだろう」とか「みんなはこういうときにはこういう風に考えるのだろう」といったように、一段高いところから見て答を考えると石原は言う。小説問題では、問題文には直接書かれていない、登場人物の気持ちを読み取る力を見ており、しかもそれは「文学的センスから」ではなく、敢えて「ふつう(社会常識)」な視点から答えるのである。「おませ」な子供が国語が得意だったりするのだ。


中学入試国語には、道徳教育に通ずる「教訓」のパターンがある。例えば、登場人物の気持ちを答えるような問題の場合、文学的にはどれも正しいように見えても、小説のパターンの「お約束(世間の常識)」を知っていると、答を1つに絞り込むことができる。例えば、日本では「年長の男性の方が、年少の人間より正しい」と考える儒教文化があるので、それを前提とすると答を絞り込むことができる。また、小説問題で出てくる親や教師は、必ず「よい親」であり「よい教師」で、主人公なら「よい子」である。そういう視点から読めば、答を絞れる。小説の主人公は、仮に外面は間違っているように見えても、内面では正しさを持っていて、それが読者の共感を得られるように書かれている場合が多い。そういった「小説の型(パターン)」をよく知っていると答を絞れる。一方、「道徳的に間違っている」選択肢や「社会常識から外れた」選択肢は明らかに×だと考えればよい。つまり、世間の常識をわかっていれば、高得点が取れるのである。


石原(2008)に即して入試国語の小説問題のポイントをまとめるならば、小説問題では、問題文に「書かれていないこと」が読めているかどうかが問われる。書かれていないこととは、登場人物の気持ちである。そのため、あえて、登場人物の気持ちが書かれていないような文章が問題として使われるわけである。そして大切なことは、登場人物の気持ちは、本人に感情移入して答えるのではない。道徳や教訓が含まれた「入試国語に出題される小説のパターン」という「お約束(世間の常識)」に照らし合わせることによって答えを絞ることができるのである。