丹羽(2000)によると、1980年代中ごろには、高校と予備校の逆転現象が起こりはじめていたのだそうである。つまり「高校は本質を」「予備校は解法を」という役割分担が、「高校は解法を」「予備校は本質を」になってしまったというのだ。
それは何故か。大学進学率が増加し、高校も進学実績を気にするようになり、大学入試対策へのプレッシャーが増大した。進学実績が落ちると、PTAなどさまざまなところから攻撃されるようになったからだ。よって、高校の授業は、本来予備校の役割であった正解発見のテクニックに終始するようになり、「なぜその教科を学ぶのか」「どんなにこの教科が面白いか」などの教科の意味や本質については触れられることがなくなっていった。
練習問題、ドリル、暗記といった正解発見テクニックを中心とする高校の授業で成績が伸びない生徒が予備校に来るようになったため、そのような生徒達の成績を伸ばすには、教科の楽しさを知ってもらう、教科の本質をわかってもらう、といった「教科の本質を教える授業」をせざるをえなかった。また、勉強嫌いな生徒までもが大学に行くようになり、それで成績が伸びない生徒に勉強の面白さをわかってもらうためにも、先生と生徒の接近が必要不可欠であった。かくして、教科の本質理解を教える役割を予備校が担うようになっていったという。