現代史の始まりはアメリカ合衆国の建国とフランス革命から

岡田(2001)は、歴史とは「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営み」だとする。そして、世界の変化に法則性があるわけでも、一定の方向に向かって進化しているわけでもないがゆえに、時代区分も、むかしといま、古代と現代の二分法しかないと論じる。古代から現代への進化の中間期として「中世」を挿入するような方法は不合理だというのである。未来にあるべき姿があらかじめ決まっていて、それに向かって人類社会が着々と進化しているなどというのはあまりにも根拠のない空想だと切り捨てる。


では、どこからを現代史として設定すればよいのか。岡田は、地球規模の世界史では、18世紀末から始まった国民国家の時代が世界史の対象だと論じる。そもそも国民国家の出現は歴史的必然などではなく、アメリカ合衆国の成立とフランス革命といったように、西ヨーロッパと北アメリカに続けざまに起こった2つの革命によって、偶然に生まれた政治形態だと岡田はいう。岡田によれば、国民国家が急速に普及したおもな原因は軍事である。国民国家が成立すると、国民の最大の財産は「国土」となるため、自分達の財産である「国土」を外国人からの侵略から防衛するとなると国民軍の兵士達は勇敢に戦う。かようにして、軍事に強い国民国家という政治形態が19世紀前半にヨーロッパを席巻し、19世紀後半になると、西ヨーロッパ人と北アメリカ人は、新たな国民の財産の獲得をめざして、海外に進出したというわけである。


上記のような背景により、アジア、アフリカ、南アメリカのほとんどは、軍事に強い西ヨーロッパと北アメリカの国民国家の植民地になってしまった。西ヨーロッパや北アメリカの国民国家からの植民地になってしまうことから逃れようとすれば、どうしても、自分たちもいそいで国民国家にならなければならないことになる。このようにして19世紀の帝国主義時代に国民国家が世界中に広がることになった。日本は、明治維新後、いちはやく西ヨーロッパ・北アメリカ型の国民国家化の道を突き進み、近代化を成し遂げ、今日に至っている。ただこれは、7世紀の建国当初から島国で本国の境界線が明確であったこと、アジア大陸に対してずっと鎖国の方針を堅持してきたこと、海外在住日本人も国内居住外国人もほとんどいなかったために日本人のアイデンティティが明確であったこと、皇室が外国の君主と関係をもたなかったために日本列島内部に外国の領土がなかったことなど、国民国家の条件を備えていたからだと岡田は指摘する。


岡田によれば、世界最初の国民国家は18世紀に北アメリカに誕生したアメリカ合衆国である。この国はそのまえになにもなかったところに憲法によって作られた国民国家という意味で、世界中のほかのどの地域にも類例のない、きわめて特異な国である。アメリカ合衆国は、歴史の制約をぜんぜん受けておらず、歴史ではなく憲法が作った国なので「歴史のない文明」だと岡田はいう。つまり、アメリカ合衆国という国は、それまでの歴史がないところに最初から「国民国家」として人工的に建国された類例のない国だというわけである。そして、アメリカ革命を正当化するために新しく考え出した理論が「民主主義」であり、これは人間はすべて神のまえに平等に創られているのだという明白な虚構に基づいたものだと指摘する。


ただし岡田は、国民国家というのは観念であり、理想であり、実在のものではないと指摘する。国民みんなが平等な立場で国家を所有し、国家の経営に参加するという前提は論理の矛盾であり、そのような形態が成り立つはずはないという。また、国民国家の統合の象徴である「国語」も、人工的に創りだされたもので、国民みんなが同じ国語を話すということも実際にはほとんどありえないという。さらに、国際連合加盟国で自前で経済的に自立できているのは半数以下だという。歴史的には世界で最初にそろって国民国家に衣替えした西ヨーロッパで、EUのように国民国家を超える広域統合への動きがはじまっているということは、すくなくとも、19世紀から200年続いた国民国家という枠組みが、そろそろ限界に来たと、みなが思うようになったことを示していると岡田はいう。