言葉と数の密接な関係

わが国では文系、理系という区分があり、文系では主に言葉を扱い、理系では主に数を扱うようなイメージがあるが、橋爪(2009)は、論理学の視点から、言葉と数は密接な関係があることを示している。そもそも、この世界は何一つ同一なものはない。あらゆるものすべてがお互いに違っている。けれども、例えば「ウマ」という言葉があるおかげで、姿も性質も少しずつ異なるものを、「ウマ」という言葉でひとくくりにしてしまう。だからこそ、「ウマ」がいくつもあるということになるので、1頭、2頭というように数えることができるようになるのだ。そもそも、言葉がないところに数は存在しないといってもよいのである。言葉は世界に境界線を引く。すべてのものが異なっていたら、世界に境界線などないはずだ。しかし、言葉があるおかげで、「ウマ」と「ウマ以外」というように境界線が引けるのだ。そして、「1頭目のウマ」「2頭目のウマ」という境界線も引ける。これが数である。


このように、言葉と数が密接に関わっていることは、言葉を扱う論理学と、数を扱う数学とも密接に関わっているはずだということになる。このような視点から、集合論をベースとする現代数学と、ラッセルやフレーゲなどの功績で新しく登場してきた記号論理学が融合することにより、「数学者がこれまでやってきたすべての証明はのこらず、記号論理学で表現することができる」ことが分かったのだと橋爪はいう。つまり、数学全体が記号論理学を下敷きにしているという関係になったというのである。数学は論理学に他ならない、あるいは論理学の特別な場合にすぎないというわけだ。そしてそれが、ラッセルのパラドクスやげーゲルの不完全性定理につながっていく。