理科系の思考法

志村(2003)は、人を文科系・理科系に分けることが安易すぎるという前置きをしつつも、いわゆる「理科系」の思考のあり方について説明している。私たちは、場当たり的に理解するのではなく、「きちんと筋道を立てて考える」ことが重要である。志村は、この「筋道を立てて考える」方法が、人文社会科学(いわゆる文科系)と、自然科学とのつながりがつよい「理科系」とでは異なると指摘する。


人間の精神活動や人類の文化の理解を中心とする文科系の科学の対象は個別的であり、地域的である。「筋道を立てて考える」の筋道の基盤や判断基準が、時代、社会情勢、生活環境によって変化、変動しうる。それに対し、自然科学は「さまざまな事象の間に客観的・普遍的な規則や原理を見出し、全体を体系的に組織し、説明しようとする」科学的精神に近い。自然科学は、客観的な「実在」と「挙動」を対象とする。自然科学では、実験や観測によって曖昧さなしに得られる結果を「客観的事実=実在」と認め、それによって構成される「自然」を理解しようとする。したがって「理科系」の人の筋道の基準は、自然科学から導かれる宇宙規模で普遍的な「自然の摂理」なのである。


ちなみに志村は、理科系というと一口に科学技術が連想されるが、科学と技術は全然次元の異なるものだという。「科学者と芸術家の生命とするところは創作である」というように、科学はむしろ哲学、芸術、文学などの「文」と共通性を持ち、科学の本質は、自然を対象にした知的好奇心を満足させることである。科学者は、科学の実用的価値には無頓着であり、そのような無頓着が許されるのである。それに対し、技術は、何か具体的な成果や物を生み出す手段、技能であり、あらゆる分野に存在する。技術は必然的に道具や機械を生みだすのである。技術(engineering)は「問題を巧みに処理すること」という意味も含まれているのである。ただし、このように研究姿勢において本質的に異なる科学と技術が、相互に補完し、影響を与えあいながら発展してきたことは間違いない。