生の有限性と人間存在の不条理

人間は誰でも死を恐れる。うれしいこと哀しいこと馬鹿らしいこと、さまざまな出来事に満ちたこの地上での生活がいつかは終わり、やがて自分の存在がなくなるという「絶対的な無」が訪れるであろう確実な予感にうち震える。
死後、「自分が存在しない」という絶対的な虚無が永遠に続くと考えると、空恐ろしい気がする(茂木 2007:225)。

本当は、生も死も一つの連続した運動体の表現にすぎない。・・・(中略)・・・一個体の生と死の間に、特別で絶対的な差違を認めるというのは人間中心的な思い込みである。・・・(中略)・・・しかし、その迷妄こそが私たちにとって、この世に自分を結びつける後世大事な錨なのであって、生ある者としてしっかりと地上に立っていなければ、私たちの魂は何も感じず、何も意図することができない(茂木 2007:225-227)