話し合いの国、日本

井沢(2007)は、歴史は、私たちの先輩たちの貴重な成功と失敗の経験集であり、まさに人生を生きていくための貴重なデータベースであると説く。彼によって紹介されているトピックの1つに、日本は歴史的に話し合いを重視する国であるというものがある。日本史全体を支配している原理だともいう。山本七平は日本人の共通原理として「話し合い絶対主義」と名づけている。


例えば、日本の神話では、先住民の王(出雲の大国主)と、新来の天照とが話し合って、天照の子孫の天皇気に国譲りをする場面が出てくる。通常は、先住民を新来民族が侵略して滅ぼすのが普通なのに、日本では「話し合い」によって国譲りがなされたと説明するのである。大きな和、つまり話し合いによって成立した国であるから、大和(やまと)と呼んだ。


聖徳太子憲法17条では、第1条の「和をもって尊しとなし・・・」の後段で「話し合いをすれば何もかもうまくいく」という主旨のことが書かれている。17条でも同様のことが書かれている。


江戸時代においては、将軍が独裁で決めるのではなく、老中の合議制という形をとっている。老中が話し合って決めて、将軍が決済するという形だ。


明治以降になって天皇主権となっても、天皇は絶対権力があったわけではなく、内閣で話し合って決めたことを天皇が承認するという形であった。実質的には天皇独裁ではなかったわけである。王政復古の大号令によって、五箇条の御誓文が作られたが、第一条は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と、話し合い絶対主義を掲げている。


現在の政治システムにおいても、内閣総理大臣が最高権力者として一人で決定できることはあまりなく、たいていが閣議を招集して、「話し合って決める」仕組みになっている。


このように、日本の歴史を支配する「話し合い絶対主義」が、日本の会社における稟議制度などにも反映されているのである。