分析力を鍛える、時間術を身に着ける

佐藤(2015)は「教養は最高の武器である」という趣旨の実践書においてビジネスパーソンや学生に対していくつかの助言を行っている。その中で印象に残ったもののうち2つ紹介したい。


まず「分析力を鍛える」という項目において、佐藤は、日本語で日常的に使われる「分析」という言葉には、英語などでいうところの「分析」(アナリシス)と「総合」(シンセシス)の両方の要素が含まれているという。佐藤によれば、「この黒猫は黒い」「あの白犬は白い」というのが「分析」である。「黒猫」という主語に「黒い」という意味が、「白犬」という主語に「白い」という意味が含まれているからである。つまり、分析の場合は、分析対象に(そのままではわかりずらい)情報が含まれており、その情報を取り出す、導き出すような方法となる。


一方、「この黒猫は賢い」「あの白犬は愚かだ」というのが、佐藤がいう「総合」である。これは、主語からは導き出せない言明であり、「黒猫」「白犬」とは異なる情報を統合(総合)して命題を導いているわけである。したがって、論戦をするときには、どこまでが分析で、どこからが総合なのかを区別した議論をすることが重要になると佐藤は指摘する。


また、情報収集や分析において、時間の使い方が重要となるが、佐藤は、時間を2つに分けて考える必要があると説く。ギリシア語でいうところの「クロノス」という時間と、「カイロス」という時間である。クロノスは、年表あるいは時系列表などに訳されるもので、われわれの日常的な感覚での、流れていく時間を指す。したがって、クロノスという時間についての「時間管理」とは、人は24時間みな同じだけのクロノスを持っているので、それをどのように使っていくかということになる。例えば、まず何かやるときにはインプットの時間を決める。


一方、カイロスという時間は、ある特定の出来事の前後で時間の質が変わっているように、質を変えてしまう時間を指す。英語でいうと、タイミングということになる。そうすると、どういうところにカイロスを付けて分節化していくかという「時間の節目」の付け方が、時間の管理でもう1つ重要なことになると佐藤は指摘するのである。