大学入試が全入と呼ばれるようになり、希望すればどこかの大学に入れる時代になってきた。加えて、大学卒というのが特別な存在ではなくなり、大学院教育も充実するようになってきた。したがって、昔からは大学院進学をしてより高度な基礎技術を習得するというケースもあったが、文系ににおいても、大学院で勉強する機会が増えるようになってきた。とりわけ、専門職大学院が増えてきたこともあり、職業上の技術を磨くために、いちど社会人として働いた後に、大学院に戻って勉強するということも可能になってきた。
このように、大学院で勉強する機会がこれまで以上に増えてきたことから、学部選びについて、新しい視点が必要になってくるだろう。それを一言でいうならば、大学の学部レベルの勉強は「自分が本当に勉強したいこと」をやったほうがよいだろうということだ。例えば、歴史や哲学が好きならば文学部にいってそういった勉強をとことんやる。宇宙少年・少女ならば、理学部にいってとことん、宇宙のことについて勉強するのである。生活をしていくうえで、お金を稼ぐために必要な勉強などは、専門職大学院のような場所でやればよい。
むかしはこれがなかなかできなかった。なぜならば、多くの大学生にとって、学部が最終学歴であり、それが終わってから入る会社は、ある意味、そこで骨をうずめる存在であったからだ。それだけ、新卒で入る会社が大事なのだから、そう簡単に失敗はできない。だから、大学入試の時点から、就職に有利な大学、学部を志望するのも無理はない。したがって、例えば文系ならば「つぶしが利く」といわれた法学部や経済学部に多くの学生が入学することになった。別に法律なんかに興味がなくて、文学に興味があるとしても、文学部などにいったら就職に不利だから、涙を呑んで法学部に入学するという人もいたと思う。
しかし、時代は変わった。転職の機会はより多くなり、新卒の就職活動で失敗したからといって人生だめになるというわけでもなくなった。会社も平気で倒産したり合併したりするのだから、そこで一生骨をうずめるといった終身雇用的な考えも時代遅れとなりつつある。いったんは社会人になっても、一度大学院に戻って職業上必要なスキルを磨いてから、また企業社会に戻るということも可能になっている。必要と感じたときに、必要なスキルを、ロースクールにいったり、ビジネススクールにいったり、その他の大学院に行ったりして身に着ければよいのだ。
学部時代は、もっと、仕事とは別の人生を豊かにするような教養を身につけたほうがよいだろう(教養といってしまうととたんに古臭くなってしまうのであまり使わないほうがよいかもしれない)。仕事だけが人生ではない。人生急ぐ必要はない。贅沢なことに、平民であっても大学という学問の府に行くことができるのだから、貴重なモラトリアムの時間があるのだから、そこで思いっきり学問を楽しんだほうがよいだろう。やりたいことを思いっきりやる、打ち込みたいことに没頭する、ということが、人生において重要ではないという人はいないだろう。逆説的であるが、むしろ、直接仕事には結びつかなくても、そういった経験がキャリア形成上、役立つことは多いだろう。