大乗仏教は釈迦の仏教とどう違うのか

日本人にとっての仏教は、基本的に大乗仏教である。そして大乗仏教は、釈迦が開いた本来の仏教とはかなり性質が異なる新しい仏教だと言われている。仏教がインドから中国に伝わった際に、釈迦が開いたオリジナルな仏教と大乗仏教が一緒に流入したのだが、そこで神秘性が高く一般の人に人気のあった大乗仏教が主流となったそうである。佐々木・大栗(2016)では、仏教学者の佐々木が、大栗からの質問に答えつつ、大乗仏教が釈迦の仏教とどう異なっているのかについて解説している。大乗仏教と釈迦の仏教との違いを理解するためには、まず、釈迦が開いた仏教がどのようなものかを理解する必要がある。佐々木によれば、釈迦は、「輪廻」という当時の世界観を受け入れた上で、全てが原因と結果でつながる「縁起」という法則に基づき、縁起でつながった全要素が一瞬も止まることなく変容し続ける「諸行無常」を説く。それに加え、世界の中心に自分が存在すると考えるのは錯覚とする「諸法無我」、生きること自体が苦であるとする「一切皆苦」を基本原理とする。

 

佐々木によれば、輪廻は、無限に続く時間の中で生き物が天・畜生・餓鬼・地獄・阿修羅といった領域で永遠に生まれ変わり死に変わりを繰り返す世界観だが、釈迦は、輪廻が永遠に続くならば、それは老・病・死の繰り返しであるため、全体としては「苦」だと考えた。そして、世界を正しく理解することで「苦」を消すことが仏教の目的だとした。その方法として、苦・集・滅・道という「四諦」という考えがあるが、簡単にいうと、「この世は苦しいけれど、その原因を消す方法は間違いなくあるのだから、それを信じて正しい道を進んで行きましょう」ということである。このような釈迦の教えを弟子たちが体系したのが「アビダルマ」である。アビダルマには神秘性はなく、この世の構成要素が縁起(因果律)の外にある「無為法」と縁起に基づく「有為法」があり、有為の世界で煩悩が生まれると説く。仏教の修行の目的は、この煩悩を消すことである。修行によって自分の煩悩を断ち切り、自己改造することで苦しみを消す、自分という世界の中で完結する個人の宗教であった。すなわち、釈迦の仏教の目的は、自分自身の苦しみを消すことだったのである。

 

実は大乗仏教は、アビダルマを否定する形で生まれたのだと佐々木は説明する。釈迦の仏教では、修行の道を進んで自己を鍛えるために、出家してサンガという宗教集団で修練の道を送る必要がある。しかし、インドの戦乱期にはそのようなことが困難となり、「サンガで修行せず自力で悟ることはできないのか」という疑問が生じた。自力で悟ったそのモデルは唯一、釈迦のみであった。ならば、釈迦が歩んだ道を追体験することで、誰もが悟る(仏陀になる)ことができるはずである。そして釈迦が歩んだ道とは、無限の過去から何度も生まれ変わる過程のどこかの大昔に別の仏陀に会って、「ああ私もこんな人になりたい」と思い、仏陀はそれを励ましたという。それ以降、釈迦は、どんな動物に生まれ変わっても修行をした。人間ではなくウサギやサルになった時でも、身を犠牲にして他者を救うことが修行だったというのである。そして最終的に、悟りを開いて仏陀になったのだというわけだ。こう考えると、出家しなくても日常生活を送りながら仏陀への道を進むことが可能だということになる。

 

しかし、上記の論理では、人々はどこかで仏陀に会わなければならない。そこでインドの人々は新たな世界観を作り出したと佐々木はいう。無限の命をもち、無限の影響力を持つ仏陀が存在するという設定にしたのだ。この仏陀は、無限の寿命があるので、無量寿と呼ばれた。無量寿は、ものすごい修行をしたので、無限の命と無限の影響力を見につけることができたとされる。ゆえに、この仏陀は釈迦よりもはるかに優れているわけである。釈迦は80歳で亡くなり、同時代の人々しか救えなかったのに対し、この仏陀はあらゆる世界の生き物を永遠に救い続けることができる。この無量寿のことをインド語で「アミタ・アーユス」と呼ぶが、無量が「アミタ」であり、これが、中国や日本では「阿弥陀」となる。大乗仏教では、阿弥陀様に会って誓いを立てれば、あとはまわりの者を助けるという修行をひたすら続けることで自分も仏陀となって涅槃に入ることができる。であるから、私たちがなすべきことは、阿弥陀という仏陀に「どうぞあなたの世界に連れていってください」というお願いをすること。これは「阿弥陀仏様、よろしくお願いします」である。「よろしく」はインド語で「ナマス」であるから、「ナマス・アミタ仏様」なり、音韻変化によって「ナモゥアミダ仏」すなわち「南無阿弥陀仏」となったのだと佐々木は解説する。これさえ唱えていれば阿弥陀仏がよろしく導いてくれるというわけなのである。

 

であるから、大乗仏教では修行は不要だと佐々木は説く。阿弥陀が全ての力を持っているので、阿弥陀を信じているならば、何もしないことが正しい態度だということになるのである。もちろん、本来であれば阿弥陀の前で誓いを立てた後に他者を助ける行動を続けなければならないのだが、時代を経るにつれてお経の内容も変わっていき、阿弥陀に「よろしく」とお願いして阿弥陀の世界に行けばそれで目的達成となってしまったと佐々木は論じる。仏陀の仏教では、煩悩を消して輪廻を止め「涅槃」に入ることが目的であったものが、いつの間にか、快適な暮らしが約束された「極楽」に行くことをゴールとするようになってしまった。本来ならば、その快適な極楽という世界をスタート地点として、仏陀となり涅槃に入るための修行を積まねばならないのだが、その部分は次第に脇に置かれ、極楽の快適さの方が強調されるようになったのが、いわゆる「他力本願」を中心とする大乗仏教だというわけである。

 

大乗仏教では、アビダルマを全否定すると佐々木はいう。釈迦が教えてくれた法則性、すなわちアビダルマよりももっと奥にある深い法則性を理解すれば、仏陀になって皆を助けた後、涅槃に入ると主張する。ただ、この奥深い法則性というのは人間の言葉では説明できない。このような言葉にできない究極の法則を、大乗仏教では「空」と呼んだというのである。段々と神秘性が増してきたわけだが、この「空」の重要性を強調しようとすると、釈迦を低く見ざるを得ない。般若心境でいうところの「空」は釈迦の教えよりも上位にあるのである。以上をまとめると、大乗仏教と釈迦の仏教では、世界観を構築する際の立脚点が根本的に違うのだと佐々木は解説する。釈迦の仏教は、世界を支配する法則を発見することで自分を救うものなのに対し、大乗仏教は、自分が救われるために適切な世界を自己構築するものになったのだと言うのである。

文献

佐々木閑・大栗博司 2016「真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話」(幻冬舎新書)

地政学で読み解く「第2次冷戦」

2022年2月24日にロシアが隣国ククライナに対する軍事侵攻に踏み切ったことをもって、この日は「第二次冷戦」が始まった日として歴史に刻まれるだろうと松元(2022)は論じる。この戦争によって、世界は今後、ロシア・中国を中心とする権威主義専制主義の枢軸と西側諸国の民主主義陣営が対峙する厳しい時代を迎えることになるというのである。ただ、ロシアのウクライナ侵攻のような専制主義国家の振る舞いは唐突に起こったわけではないと松元はいう。1990年初期の東西冷戦の終結によって世界で一強となった米国が、21世紀に入ってからの対テロ戦争と中東への軍事介入の長期化で疲弊し、2013年に世界の警察官の役割の返上を宣言するなど弱体化し、それによって生まれた力の空白に入り込むように中国が南シナ海島嶼の軍事基地化に着手し、太平洋、インド洋への進出をはじめ、ロシアも手始めにクリミア半島を併合し、新しい挑戦の機会を狙うようになったのだと指摘するのである。

 

民主主義陣営としては、米国の弱体化のみならず、西側の同盟内でも不協和音が目立つようになったと松元はいう。西欧の指導役だったフランスが英米主導の欧州の安全保障に冷淡になり始め、英国はEUから離脱してインド太平洋での新しい同盟の枠組みづくりに腐心するようになった。また、トルコはNATOの方針に反発し、ロシアから兵器を購入するようになった。つまり、米国の弱体化とそれに伴う西側諸国の連帯の揺らぎに乗じて、中国・ロシアが連帯した権威主義の枢軸、ユーラシア権力が台頭してきたと松元は論じるのである。歴史上何度となく繰り返されてきたユーラシアの膨張が再び始まっているというわけである。パワーバランス(力による均衡)の論理が全てを支配する国際社会にあって日本これからどのように振る舞うのか、その難しい問題を解く鍵となるのは、地理的な環境や歴史、文化、伝統が国家の戦略形成にどのような影響を与えているのかを総合的に探求する学問である地政学だという。

 

歴史を振り返ると、19世紀は、当時の大国の英国がシーパワー(海洋国家)の覇者として、ランドパワー内陸国家)のロシアと主にユーラシアで派遣を争う時代だった。続く20世紀は英国の力が徐々に衰退し、代わりにシーパワーとして台頭した米国とソビエト連邦となった旧ロシアが、資本主義vs共産主義という歴史上類例のないイデオロギーで世界中で派遣を争う冷戦となった。ソビエト連邦が崩壊しユーラシアが大混乱に陥る中、唯一の超大国として世界の一極支配を成し遂げたかと思えた米国に対して、中国が急速な経済成長を背景に海洋資源の獲得を国家の重要な戦略目標として掲げ、海洋への進出を目指し始めるなどの挑戦を始めた。ロシアもソビエト崩壊時の混乱から立ち直り始め、プーチンが権力基盤を固めると、情報機関の強化、軍事力の近代化を図り、ユーラシアの隣国、中国と連携して、米国の一極支配に挑戦するようになった。つまり、21世紀に入ると、シーパワーの覇者米国に対して、ランドパワーの中国とロシアが様々な形で連携しながら米国と派遣を争うという三つ巴のグレートゲームが始まり、日本や欧州のシーパワーの国家群は米国の同盟国として否応無しにこのゲームに巻き込まれているのが現代の世界だと松元はいうのである。

 

権威主義専制主義のロシアや中国について詳しく見ると、ロシアの安全保障上の行動を説明する根幹は、外敵の侵入を阻止するため、ロシア周辺の地域をロシアの勢力圏として事実上の支配下に置き、ロシアの周囲に緩衝地帯を作ること、物資を大量に輸送できる海上の輸送手段を確保するため、冬場も凍結しない港を求めて必要ならば外国に進出することである。中国は、王朝の勃興と衰退、滅亡の繰り返しにより絶えず形を変えてきた国家である。元々は漢民族を中心とした多民族国家であり、常に民族同士の対立の火種を抱え、融合と離散を繰り返してきた。またその混乱に乗じて侵攻してくる外敵の脅威にも晒されてきた。こうした膨張と収縮を繰り返す宇宙のような国家の運営にとって重要なのは、強力な権力の集中を行い、1つの国家として統一することである。このような中での安全保障上の行動原理は、以夷征夷(野蛮人を使って野蛮人をやっつける)と防衛的なものであった。

 

専制主義vs民主主義という構図を地政学的に理解すると、外国と陸地で国境線を長く接している国では、絶えず外国の侵略の脅威に直面していたため、国を統治する為政者は強権を行使して常に国内の引き締めに取り組まなくてはならず、結果として、全体主義、独裁主義的な統治になりやすい傾向があったと松元は解説する。一方、国の周囲をうみだ囲まれているシーパワーの国家群は、中国やロシアのように外国と地上で国境を長く接している国にりはるかに安全な環境にあり、外国の侵略を受けにくく、勢力圏に取り込まれることも少なかった。よって、地政学的に民主主義が根づきやすい安全な環境にあった。その結果、自由と人権を重んじる西側諸国を中心とした自由主義、民主主義体制と、新たな世界秩序を作ろうとする権威主義専制主義との激しい対立につながったのだと考えられるのである。とりわけ、中国とロシアの連携が、ユーラシア権力の急速な膨張を生み出し、それによって大陸の東側と西側で力を共振現象が起きているのだと松元は指摘する。

文献

秋元千明 2022「最新 戦略の地政学 専制主義VS民主主義」ウェッジ

 

地政学とは何か

奥山(2020)は、地政学を「国際政治を冷酷に見る視点やアプローチ」としたうえで、国際政治を「劇」に例えるならば、地政学は「舞台装置」に例えることができるという。「劇」の裏側で、そのシステム全体の構造を決めているのは「舞台装置」であるから、国際政治の表面的な部分だけでなく、その裏にある各国の思惑を理解するためには地政学の考え方を身に着ける必要があるというのである。地政学は、アジア、中東、ヨーロッパという3大エリアでの衝突に関係する国のふるまいの研究でもある。世界的なニュースのほとんどは、これらのエリアに関わっているため、地政学を知ることは世界の情勢を知ることにつながるという。

 

上記の地政学の特徴をふまえ、奥山は地政学の6つの基本概念を説明する。1つ目は「コントロール」である。地政学は、国の地理的な条件をもとに、他国との関係性や国際社会での行動を考えるアプローチである。例えば、防衛、国際政治、グローバル経済などでの国の行動には、地理的な要素が深く関わっている。よって、地政学を活用することで、自国を優位な状況に置きながら、相手国をコントロールするための視点を得られるという。また、地理的な側面から国家のふるまいを検証する地政学を勉強すれば、国の本音を見抜くことができるともいう。

 

2つ目の基本概念は、「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」である。これは、突出した強国をつくらず、勢力を同等にして秩序を保つという国際関係のメカニズムで、例えば、1位の国が勢力を増した2位の国に対し、3位以下の国と協力しながら挟み込んで国力を削ぐような動きで、2位以下の勢力を均一化し、抵抗を不可能にするような戦略である。3つ目の基本概念は「チョーク・ポイント」である。地政学では、国から国、また、中東やアジアなどのエリア間の大規模な物流の中心は海路(ルート)であり、国家の運営においてルートは命綱であるため、このルートを通るうえで絶対に通る、海上の関所である「チョーク・ポイント」を押さえてルートを支配するという考えかたである。

 

4つ目の基本概念は「ランドパワーとシーパワー」である。ランドパワーユーラシア大陸にある大陸国家(ロシア、フランス、ドイツなど)で、シーパワーは国境の多くを海に囲まれた海洋国家(日本、イギリス、アメリカなど)で、人類の歴史では、大きな力をもったランドパワーの国がさらなるパワーを求めて海洋に進出すると、自らのフィールドを守るシーパワーの国と衝突するとう流れを何度も繰り返していると奥山は解説する。つまり、大きな国際紛争は、常にランドパワーとシーパワーのせめぎ合いで、ランドパワーとシーパワーは両立できない(交互に力を持つ)ということである。

 

5つ目の基本概念は「ハートランドとリムランド」である。ハートランドユーラシア大陸の心臓部で、現在のロシアあたりであるが、寒冷で雨量が少なく古代から文明があまり栄えなかった地域である。ハートランドランドパワーに分類される。リムランドは、主にユーラシア大陸の海岸線に沿った沿岸部で、温暖で雨量が多く、経済活動が盛んで、世界の多くの大都市があり人口も集中している地域である。アジア、中東、ヨーロッパという3大エリアがリムランドに含まれ、シーパワーの影響が大きい。他国に影響力を持つにはリムランドの支配が重要である。歴史上、厳しい環境のハートランドの国が豊かなリムランドにたびたび侵攻し、リムランドの国と衝突していると奥山はいう。リムランドは、ハートランドランドパワーと周辺のシーパワーの勢力同士の国際紛争が起こる場所だというわけである。

 

地政学の6つ目の基本概念は「拠点」である。相手をコントロールする際に、足掛かりとしてつくるのが拠点で、そこからレーダーで監視をしたり、軍隊を駐屯するなどして影響力を保持する。必要があればその影響に及ぶ範囲内に新たな拠点を築いて進行する。国と国の小競り合いを見ると、コントロールに必須の拠点争いが原因であることが多いのだと奥山は指摘する。

文献

奥山真司 2020「ビジネス教養 地政学 (サクッとわかるビジネス教養) 」新星出版社

世界システム論で紐解く現代史

川北(2016)によれば、世界システム論とは、近代世界を1つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史をそうした有機体の展開過程としてとらえる見方である。つまり、世界の歴史について、ヨーロッパ中心史観を否定し、少なくとも16世紀以降は、ヨーロッパと非ヨーロッパ世界が一体となって、相互に複雑に影響しあいながら展開してきたと考えるわけである。とはいえ、現在に至る世界システムがヨーロッパ的であることを川北は否定しない。決して、イスラムを中心とした世界システムとか、東南アジアを中心とした世界システムが地球を一体化させたわけではないのである。つまり、1500年ごろ以降の歴史において、ヨーロッパ的・資本主義的な世界システムが地球を覆うようになり、地球上に存在したさまざまな「世界」が、ヨーロッパを中心とする「近代世界システム」に吸収されたいったのだと川北はいう。その要因としては、ヨーロッパ発のこのシステムには「飽くなき成長・拡大」を追求する内的動機(成長パラノイア)が内蔵されていたことにあるという。

 

世界システム論の視点から世界史を理解するうえで重要なのは、歴史は「国」を」単位として動くのではないということだと川北は指摘する。近代の世界は1つのまとまったシステム(構造体)を成しているので、すべての国の動向は「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかないのである。例えば、「イギリスは工業化されたが、インドされなかった」のではなく、「イギリスが工業化したために、その影響を受けたインドが容易に工業化できなくなった」と理解するのである。今日の南北問題にしても、北の国々が工業化され、開発される過程そのものにおいて、南の諸国がその食糧・原材料生産地として猛烈に開発された結果、経済や社会のあり方が歪んんでしまったことから生じたのだというわけである。南と北は、単一の世界システムすなわち世界的な分業体制をなし、それぞれの生産物を大規模の交換することで初めて世界経済が成り立つことになったことを意味しているのである。

 

川北によれば、近代の世界システムは、大航海時代の後半に、西ヨーロッパ諸国を「中核」とし、ラテンアメリカや東ヨーロッパを「周辺」として成立した。その後、この巨大生物は、十九世紀のように激しく成長・拡大する時期と、十七世紀のように収縮気味の時期とを繰り返しつつ、地球上のあらゆる地域を呑み込んでいった。今日では地球上にこのシステムに呑み込まれていない地域はほとんどないとさえいう。世界システムの「中核」とは、この世界的な規模での分業体制から多くの余剰を吸収できる地域であり、工業生産を中心とする地域でもある。「周辺」は、食糧や原材料の生産に特化させられ、中核に従属させられる地域のことである。西ヨーロッパがこの世界システムの中核として、国家体制が強化されていったのに対し、エルベ川以東の東ヨーロッパとラテンアメリカは、中核に従属する周辺として、国家的な機能が弱められ、植民地化されることさえあった。世界システムは、その地域間分業の作用を通じて、中核では国家機能を強化しつつ、周辺では国家を溶融っせる効果をもったのだと川北はいう。

 

ではなぜ、かつては世界の辺境にあった西ヨーロッパが近代世界システムの中核となったのか。それは、14・15世紀ごろにヨーロッパ全域で人口の激減を伴う「封建制の危機」があり、この危機への対応の中から近代の世界システムが成立したというのが定説だと川北はいう。ヨーロッパにおいて人口が減少し生産が停滞する中で、領主と農民の取り分をめぐる闘争が高まったため、この危機を脱する方法として分け合うもとのパイを大きくする、すなわち「大航海時代」を契機として北西ヨーロッパの枠をはるかに越えた拡大が志向されたというのである。ヨーロッパ各地の領主階級は国王に権力を集中して農民からの抵抗に対応する必要性に迫られ、その結果、国家が発展したわけだが、それゆえ、ヨーロッパ全体としては政治的統合を欠いた経済システムであった。つまり、ヨーロッパが「国民国家の寄せ集め」となったことが、各国が競って武器や経済の開発を進めることとなり、それが世界システムの発展を促進したと川北はいうのである。

 

最初に大航海時代をリードしたのがポルトガルとスペインである。間違いなく両国は、世界の一体化、つまり大西洋や北海をまたぐ大規模な分業体制を意味する近代世界システムの成立をもたらしたと川北はいう。大航海時代において、近代世界システムの中核地域である西ヨーロッパは、東ヨーロッパやラテンアメリカなど「周辺部」から得られる経済的余剰を享受するようになった。そして、スペインやポルトガルに代わり、オランダ、イギリス、フランスも体外進出を果たすようになる。世界システムの歴史では、ときに、超大国が現れ、中核地域においてさえ、他の諸国を圧倒する場面が生じるが、このような国を「ヘゲモニー(覇権)国家」という。世界史では、対外進出を通して成功をおさめたオランダがヘゲモニー国家となり、その後ヘゲモニー国家はイギリスへ、そしてアメリカへと移ることになる。とりわけイギリスがヘゲモニー国家となり、植民地を拡大し、商業革命を成立させると、イギリスに様々なものが集中するようになった。それがイギリス発の産業革命につながったことを川北は示唆する。

 

中核部が工業化の局面に入り、世界システムが全地球を覆うようになると、世界システムのレベルで無限の労働供給が成立しなくなってきたと川北は説明する。その結果、周辺地域間で労働力を移動させ、より適切な配置に再編成すること以外に方法がなくなった。それが、アイルランドを含むイギリスからのアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド移民、東ヨーロッパ、南ヨーロッパ諸国からアメリカへの移民、日本からハワイ、南アメリカへの移民、アフリカ大陸内の黒人労働者の移動など、大量移民を通した周辺労働力の再編成の動きにつながったという。他方、中核の高い賃金と生活水準を求めた周辺から中核への移動も絶えず発生したともいう。同じ中核国間においても、よりヘゲモニーに近い国への労働力の移動が絶えず起こり、世界のメトロといえる都市には大きなスラムが登場した。周辺諸国においても、首都への異様な人口集中がみられるようになった。つまり、近代世界システムは、その作用によって、中核、周辺それぞれの地域の中心としに人間を集中させたのだと川北はいうのである。

 

19世紀後半以降、大英帝国を成功させたイギリスは衰退し始める。中核内では、イギリスに変わってドイツとアメリカが新たなヘゲモニー国家を目指すことになった。同時に、この頃すでに、近代世界システムが地球のほぼ全域を覆い、経済余剰を獲得するための新たな周辺を開拓する余地がなくなっていた。そして、アフリカ分割を契機に、世界が帝国主義と呼ばれる領土争奪戦に突入し、二度の世界大戦を経験した。これは、ドイツとアメリカによる新たなヘゲモニー国家の地位をめぐる争いでもあり、両方とも勝利したアメリカが新たなヘゲモニーを確立したと川北は解説する。社会主義国となったソ連や、その後に成立した多くの社会主義政権も、基本主義的世界システムの中にある「反システム的な政体」であるにすぎず、近代世界システムの外に身を置き続けることはできなかったと川北は指摘する。ただ、アメリカのヘゲモニーも長くは続かず、1971年のドル・ショック以降、ヘゲモニーを次第に消失しつつある。

 

地球上に新たな「周辺」となるべき未開拓の土地はなくなった。ただ、川北によれば、近代世界システムの本質の多くは、今日に至るまで維持されている。中核が周辺に資源を求め、工業製品を供給することも、その貿易が不均等交換で中核に有利になっていることも変わりない。しかし、低開発国の典型とされた中国はいまや世界経済を動かす存在となっており、アメリカやアフリカの諸国でも、ブラジルのように単なる低開発国とはいえなくなっている国が少なくないと川北は指摘する。インドは、国内に大きな格差を抱えながらも、情報技術などを軸に新たな経済発展を遂げており、「工業化された国こそが中核である」というかつての近代世界システムの通則が微妙に揺らいでいることも指摘する。つまり、生産に基礎をおかず、金融と情報を基礎とする地域が世界システムの中核の一部となるとき、世界システムのあり方は変わらざるを得なくなるだろうという見解を持って川北は解説を締めくくっている。

文献

川北稔 2016「世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界」(ちくま学芸文庫)

時間と空間の現象学的理解

世界の根源的な存在とは何かと問われれば、まず思い浮かぶのが、時間と空間である。時間と空間が存在しているということは、世界が世界であることのもっとも基本的な要素であり、時間と空間なくしては世界はありえないし、時間と空間は人間が存在するしないにかかわらず存在しているものだと直感的には思える。ただし、この時間と空間の「正体」は何かといえば、答えはそう簡単ではない。19世紀までは、時間は過去・現在・未来へと直線的に進む絶対的なもので、空間はユークリッド幾何学で扱う、こちらも絶対不変の空間概念だと人々は信じていただろう。しかし、その後の相対性理論量子力学の発展は、観測から得られるデータと数学的操作を用いて、時間と空間の根源が私たちが直感的にイメージするものと全くことなるものでありうるという示唆を導いている。そうでなければ宇宙が開始したビッグバンなどもあり得ない。

 

しかし、よく考えてみると、なぜ時間と空間が世界の根源的な存在だと言えるのかは定かでない。そもそも、私たちが信じているように、時間とか空間は普遍的な存在だということをどうやって確かめることができるのか。現代科学が観測と数学で解き明かそうとする時間や空間の正体には、人間以外の「神の目」から時間や空間を眺めていることが「暗黙の前提」となっている。つまり、人間が存在如何に関わらず変わらない正体もしくは真実を探ろうとしているのである。しかし、そのような神の目がそもそもあるのかどうか、正しいのかどうか誰も分からない。では、どのようにして、この世界の根源的な存在、とりわけ時間や空間の存在のあり方を理解すればよいのか。そこで1つの哲学的視点として利用可能なのが、フッサールが提唱した「現象学」である。谷(2022)による現象学の解説をガイドラインとしつつ、アプリオリとアポステオリという概念を、現象学がどう考えるかを見ながら考えてみよう。

 

カント以前の哲学では、(主観的な)認識は、(客観的な)対象に従うと考えられていた。それに対し、カントの「コペルニクス的転回」では、(客観的な)対象のほうが、(主観的な)認識に従うとみなした。つまり、(客観的な)対象の認識を可能にする条件は、じつは(主観的な)認識装置に含まれている条件とみなす。「対象を認識する」という意味での認識のほかに、「対象を認識する(主観的な)認識装置そのものを認識する」という意味での認識を、カントは「超越論的」と呼び、その超越論的哲学で、主観性にアプリオリに備わった認識装置を探ることで認識を可能にするアプリオリな諸条件を求め、結果として、「感性(直観)の形式」「悟性のカテゴリー」「超越論的統覚の自我」を見出した。

 

アプリオリが、いつでもどこでも妥当する普遍性を意味している一方、アポステオリとは、ある時やある場所でのみ妥当することを意味する。よって、普遍的なアプリオリがその都度的なアポステオリを基礎付けることはできても、普遍的でないアポステオリが普遍的なアプリオリを基礎付けることはできない。しかし、そうなると、私たち人間がどうやってアプリオリなものを認識することができるのだろうか?何かを認識するには、アポステオリな経験に依存せざるを得ないのではないだろうか。例えば、先に疑問に挙げたように、私たちは時間と空間を人間の存在如何に関わらず存在する根源的なもの、すなわちアプリオリな存在だと考えているが、そのことを証明する手立てがないのではないだろうか。そうなると、アプリオリだと思われるものであっても、アポステオリな経験からしか認識できないのではないだろうか。

 

それに対してフッサールは、経験がすべてアポステオリなのではなく、アプリオリも経験から抽出されると考えた。であるから、アプリオリだと考えられる時間や空間の正体も、現象学的還元によって人間の経験から得られるはずだと考えたのである。とりわけ晩年のフッサールは、人間による直接経験=志向的経験のうち、受動的な志向性にすら先立つことで世界の「存在」を与える次元である「原受動性」において、時間と空間の原構造があらかじめ生じていることを発見したと谷はいう。時間や空間は、私たちが実際に生活している精神世界において経験される。それはその都度的であって普遍性はないように思われるかもしれない。しかし、その経験の中に、時間や空間の原構造、すなわち根源的な本質が含まれているのであり、それを抽出することで、その派生形としての時間や空間の(客観的な)概念を自然科学などで利用することになる。よって、人間を離れた物理的世界において時間や空間が基礎づけられ、それに基づいて私たちが経験する時間や空間があるのではなく、人間の精神世界から抽出される時間や空間が、自然科学での時間や空間を基礎づけているといえる。

 

では、そのような時間と空間の本質を示す原構造とは何だろうか。まず時間であるが、超越的還元を遂行すると、「現在」の直接経験=志向的体験しか見出されず、過去や未来が与えられていないことが分かる。よって、私たちは、直接経験の現在から出発して、過去や未来をもった時間(客観的時間)を能動的に構成していく。しかも、原受動性としての時間は、一瞬で流れ去ってしまう(消え去ってしまう)ものではなく、それ自身が幅を持って立ちとどまってくれるという。現在という現出のうち流れ去る予定のものが保持され(把持的現出)、次に現れるものが期待される(予持的現出)、この2つは現在に含まれている。これは、現在には、原印象的現出、把持的現出、予持的現出の3つが属し、それゆえ「幅」が生じていることを意味しており、原初の時間は、受動的志向性にすら先立って、幅を持ちつつ生じている。フッサールはこれを「生き生きとした現在」の原構造だとするのである。あるいは「流れつつ立ち止まる現在」である。

 

現在という時間では、新たな現出が登場するたびに、それ以前の現出は、原印象からより遠い把持の方向に向かって押しやられていく。そして、現在の幅をはみ出してしまう。この時私たちは、はみ出したものを「想起」することができ、想起によって初めて「過去」が形成される。想起という活動が、想起しようとする能動性を必要とするのに対して、把持や予持は、そうしようとする意志がなくても生じるので、現在の幅は受動的に構成されると言える。一方、過去や時間全体は、能動的に構成される。私たちは、現在からはみ出してしまったものを能動的に想起することを繰り返すことで、一本の直線としての「時間」が、「過去」の方向に伸びていくし、同じようなプロセスを逆方向に行えば、時間が「未来」の方向にも伸びていく。その結果、過去から現在を経由して未来へと流れていく客観的時間が構成されるというわけである。もちろん、想起には限界があるので、例えば、想起不可能なほどの遠い過去は、想起可能な過去からの一種の理念化を遂行することによって自然科学的な意味での時間が構築される。

 

空間についても、客観的空間は、直接経験=志向的体験における空間から派生的に構成されると谷はいう。直接経験=志向的体験のもとでは、時間が点的でないのと同じで、空間も一定の広がりをもっている。それは、私が動くという運動感覚と共に現出するものである。運動感覚と共に生じる直接経験=志向的体験の光景はダイナミックである。このように、時間に対してとった現象学的方法と同じく、客観的空間の「起源」を、直接経験によって求めることでフッサールが見出したのは、根源的な意味での「大地」である。直接経験においてまず与えられる大地は、動かない。別の言い方をすれば、「動く」ということが言えるための条件として、動かない大地がある。何かが動く際の空間位置は、そもそも空間が与えられていなければならないが、その空間が「大地」として直接経験で与えられているというわけである。動かない大地があるからこそ、何かが動くとか静止することが可能になる。

 

ただ、時間と共に身体が動くことで経験される空間も動き、広がると言ったように、時間意識が空間意識の拡大の前提条件となっており、この前提条件に基づいて空間は拡大する。直観的な空間の拡大には限界があるが、理念化によって自然科学的な意味での客観的空間が構築される。しかし、ひとたび動くもの、静止するものとしての対象が注視されると、その対象が主題となり、逆に、根源的な意味での大地のほうは隠蔽されてしまうと谷はいう。時間も然りである。時間の現構造としての「生き生きとした現在」は、対象の主題化とともに覆い隠される。フッサールは、受動的志向性に先立つ先志向的な次元(原受動性)において時間と空間の原構造が生じていることを発見したが、こうした原初の世界の「存在」を、先存在と呼んだ。先存在は、存在すべてに端的に先立っている最も根源的な存在だとフッサールはいうのである。

文献

谷徹2002「これが現象学だ」(講談社現代新書)

 

現象学とは何か

私たちは、主観でしか世界を認識することはできない。自分の外側に飛び出して、自分を含む世界を「客観的に」眺めることなど不可能である。しかし、現在支配的な諸学問や諸科学は、後者の「あり得ない」客観性を前提としているものが多く、中でも、数学や論理学は、それが人間そのものの存在の有無に関わらず普遍的に成立することが前提とされており、世界を理解するうえで最も基礎的で「本質的な」学問のようにも思える。しかし、そのような学問が本質的であることがどうして分かるのだろうか。これに関して、フッサールの提唱した現象学は、私たちが認識できる「現象」こそが、数学や論理学を含むすべての諸学問/諸科学を基礎づけるという考え方を前提として提唱された哲学だと言われる。これはどういうことであろうか。

 

谷(2002)によれば、フッサールが提唱した現象学は「現象」についての「学問」であるが、ここでいう現象とは、「諸現出」と「現出者」を含んでいる。端的に言えば、フッサール現象学は、現出者と諸現出との関係を扱う学問である。現出者の同一性は、感覚・体験される諸現出の多様性が「突破」されることで知覚・経験されている。例えば、現出者を「正方形」とするならば、私たちには、見る角度などによって、それが平行四辺形として感覚・体験されたりする。これが「諸現出」であり、諸現出は見る角度が変われば異なる形として感覚・体験されるから、多様である。しかし、その多様な諸現出は、それらを媒介して(突破して)「現出者」が知覚されるという本質的な相関関係を示している。

 

上記のような経験を「直接経験」という。フッサールは、諸現出の体験を媒介にして(突破して)現出者が知覚されるという構造を見出したわけだが、この媒介・突破の働きが「志向性」である。フッサールは、諸学問の「下」には、直接経験=志向的体験があり、諸学問はそこから基礎づけられなければならないと考えた。そのためには、直接経験=志向的体験を、その外部から眺められるという思い込みを中断(エポケー)して、これの「内部」に還元せねばならない。現象学は、「下」と「内」からの哲学であり、直接経験=志向的体験こそが、すべての学問/科学の基礎だとフッサールは考えたのである。以下において、諸学問の性質をもとに、これをもう少し敷衍して説明しよう。

 

そもそも、近代の自然科学が数学に依拠して発展したように、諸学問/諸科学は数学を含む意味での「純粋論理学」に基礎づけられていると考えられる。フッサールによれば、数学や論理学は、いつでもどこでも妥当するという理念的・本質的で普遍性・必然性を持つ「アプリオリ」である。一方、心理学や自然科学は、ある時やある所でのみ妥当する実在的・事実的で、個別的・偶然的でもある事実学という意味で「アポステリオリ」である。アプリオリな数学や論理学は、アポステリオリな他の諸学問を基礎づけることができるが、その逆は成り立たない。だから、諸学問/諸科学は純粋論理学に基礎づけられているといえる。

 

そしてフッサールは、この純粋論理学が、さらに直接経験=志向的体験から基礎づけられると論じたわけである。すなわち、本質学における「真理」がどうして真理といえるのかといった本質の理解は、直接経験=志向的体験から得られるということなのだ。簡単に言えば、アプリオリ=本質は、経験(直接的経験=志向的体験)から抽出されるフッサールはいう。経験は、アポステリオリな成分だけで成り立っているのではなく、アプリオリな成分(あるいは少なくともその先行形態)も含んでおり、「直観」が、この直接経験=志向的体験からアプリオリな成分を抽出してきて、それを論理的なものへと仕上げるのである。では、アプリオリなものは直接経験=志向的体験のなかにどのように含まれており、それをどうやって抽出するのだろうか。つまり、アプリオリなものが、直接経験/志向性にどのように含まれるかが問題となる。

 

フッサールは、数学や論理学が人間の心理構造や心理作用の規則性といったものに基礎を持つと考える「心理主義」を否定した。なぜなら、心理主義をとると、人間以外の生物や別の心理構造を持つ人間にとっては別の数学や論理学が妥当することになり、それではアプリオリな学問とは言えないからである。かつてガリレイは、自然の中に幾何学図形があるということを述べていた。しかし。よく見れば、自然の中に完全な幾何学図形などない(と人は反論するだろう)。そこで逆に、カントは幾何学の起源を「私たち自身」に移した。つまり、私たち自身にあらかじめ備わった感性(直観)の形式として「空間」を設定しておいて、そこから幾何学を導き出そうとした。しかし、この考え方は一種の心理主義である。これをベネケという著者が批判し、フッサールも同調したと谷は解説する。幾何学は自然のなかに(あらかじめできあがって)存在しているわけではないし、私たち自身の中に(あらかじめできあがって)存在しているわけでもない。フッサール的に見れば、幾何学は、自然と私たち自身のいわば「あいだ」で成立するというのである。

 

フッサールの分析によれば、ユークリッド幾何学ニュートン物理学は、直接経験=志向体験から成立する。あるいは「生活世界」的経験から成立する。生活世界には、まだ自然科学的な意味で「客観的な」幾何学図形はないし、幾何学に対応する「客観的な」空間(や時間)もない。しかしそこには、先客観的な空間(や時間)がある。カントはこうした先客観的な空間(や時間)を知らなかったため、ユークリッド幾何学ニュートン物理学の客観的な空間概念や時間概念を前提としてしまい、それと対応するような「感性の形式」が主観的にアプリオリに備わっているとみなした。これは、根源的なもの(先客観的な空間や時間)を見落として、派生的なもの(ユークリッド幾何学などで用いる空間・時間概念)を前提とする「本末転倒」の考え方だと谷は説明する。

 

事象内容を持つ質料的本質は、3領域「物質的自然(物理的なものが主役)」「生命的自然(心理物理的な生物が主役)」「精神世界(物理的な物ではなく道具や文化を対象とする人間が主役)」に分けられる。この関係性については、物質的自然は、生命的自然なしにもありうるが、生命的自然は、物質的自然なしにありえない。また、生命的自然は精神世界なしにありうるが、精神世界は生命的自然なしにはありえない。このように、生命的自然は物質的自然に基づけられており、精神世界は生命的自然に基づけられているという、物質的自然→生命的自然→精神世界という基づけ関係が見出される。

 

しかし他方で、態度という視点で見ると、私たちが最初に経験するのは「物質的な物」ではなく、鉛筆や歯ブラシといった道具であり、その後ではじめてそららを物質的な物とみる見方(態度)を身に着ける。つまり、私たちは、物質的自然に対応する「自然科学的態度」を取る以前に、精神世界に対応する「人格主義的態度」において生きている。人格主義的態度における道具や人格こそが、根源的に経験されており、自然科学的態度における物や心理物理的な生物は、派生的に経験されているにすぎない。よって、自然科学よりも人格主義的態度の精神世界すなわち「生活世界」のほうが、自然科学よりも先行し、前者は後者から派生する。生活世界こそが自然科学的領域の始原(期限/根源)である。フッサールによれば、精神世界/生活世界こそが根源的であり、物質的自然や生命的自然は派生的なのである。

文献

谷徹2002「これが現象学だ」(講談社現代新書)

 

マルクスの思想が到達した「脱成長コミュニズム」とは何か

斎藤(2020)は、最晩年のマルクスが遺した手紙や読書メモなどをつなぎ合わせると、これまで指摘されてこなかった思想の大転換を晩年のマルクスが行っていたことが分かると論じる。どういうことかというと、マルクスは晩年になって、若かりし時代に盟友エンゲルスと執筆した共産党宣言資本論第一巻で展開した史的唯物論に基づく「進歩史観」、とりわけ「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」とは決別し、「脱成長コミュニズム」という理論的大転換を遂げていたのだと主張する。脱成長コミュニズムは、平等で持続可能な脱成長型経済を実現するための考え方である。そして、マルクスが晩年に構想したこの「脱成長コミュニズム」こそが、拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊し尽くそうとしている現代に必要な思想なのだという。

 

たしかに、若きマルクスは、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」に支配されていたことを斎藤は指摘する。例えば「共産党宣言」では、資本主義の発展は生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれると考えていた。だから、社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要があると考えていた節があるという。つまり、資本主義がもたらす近代化と生産性の上昇が将来の社会で人々を豊かになる条件を提供することで最終的に人類の解放をもたらすというように、人類社会にとっては過渡期としての資本主義が必要不可欠であるという考え方で、これが単線的な進歩史観であり「生産力至上主義」である。そして、この思想の背後にあるのが、ヨーロッパが時代の先端を走っており、ほかのあらゆる地域も西欧と同じように資本主義での近代化を進めなければならないとする「ヨーロッパ中心主義」である。

 

上記のような唯物史観進歩史観が維持される限り、マルクスの思想は時代遅れであり、資本主義が自然環境を破壊し人類を滅亡に導く可能性すらある現代の社会問題の解決には適用不能ということになってしまう。しかし斎藤によれば、マルクスは後期になってこの考え方を修正し、「労働」が「人間と自然の物質代謝」を制御・媒介することを含む資本と環境の関係を鋭く分析していたのだという。この関係性のもとでは、資本が自らの価値を増やすことを最優先するため、人間も自然も徹底的に利用することで、人類社会に対する適度な豊かさの提供をはるかに超えるかたちで人間と自然の物質代謝を大きく攪乱し、長時間の過酷な労働による身体的・精神的疾患や、自然資源の枯渇や生態系の破壊を招くという帰結につながるわけである。だから、資本主義は物質代謝に「修復不可能な亀裂」を生み出すことになるとマルクス資本論で警告したと斎藤は指摘する。つまり、資本主義は、人間と自然の物質代謝を持続可能な形で管理することを困難にし、社会がさらに発展するには足かせになるというわけである。

 

マルクスは「ヨーロッパ中心主義」からも決別したと斎藤はいう。生産力の発展こそが人類の歴史を前に進める原動力であるとする生産力至上主義は、ヨーロッパ中心主義を正当化していたのだが、資本主義のもつ生産力が物質代謝を攪乱し、修復不可能な亀裂を世界規模で深めるという後期の思想は、生産力至上主義を捨て、よってヨーロッパ中心主義も捨てることになったわけである。とりわけ晩年のマルクスは、非西欧、前資本主義の共同体から社会変革の可能性を学ぼうとしていたという。例えば、晩年のマルクスは、複線的な歴史観を受容するようになり、単線的な進歩史観に依拠した「革命の単一的なモデル」を拒否したという。社会主義へと至る経路は、西欧の発展モデルに限定されないばかりか、マルクスの考えるコミュニズム自体が大きく変貌したことを斎藤は指摘する。つまり、生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を捨てた晩年のマルクスは、西欧資本主義を真に乗り越えるプロジェクトとして「脱成長コミュニズム」を構想する地点にまで到達していたのだと斎藤は指摘するのである。

 

つまり、晩年のマルクスは、持続可能性に関心を向け、自然科学研究とりわけエコロジー研究と共同体研究に没頭していたと斎藤は指摘する。「資本論」以降のマルクスが着目したのは、資本主義と自然環境の関係性だったのであると。その結果、持続可能性と社会的平等が綿密に連関していることにマルクスは気づいたのだという。マルクスは、自分の理論的転換があまりにも大きすぎたために、死期までに「資本論」を完成させることができなかった。決して資本論の辛い執筆から趣味の読書に逃避していたのではなく、進歩史観を捨て、新しい歴史観を打ち立てようとする血の滲むような努力の過程であったのだと斎藤はいうのである。では、持続可能性と社会的平等を重視する「脱成長コミュニズム」とはどのようなものなのだろうか。

 

マルクスによれば、資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用いる。その結果、生産力の上昇は自然の掠奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。そう批判するマルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった。そして、自然と人間の物質代謝に走った亀裂を修復する唯一の方法は、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していくことだということを示唆した。具体的には、「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」「エッセンシャル・ワークの重視」である。これらが「脱成長コミュニズム」の柱となる。グローバル化された資本主義が人類の生存そのものを脅かす新人世の危機に立ち向かうため、未完の『資本論』を、「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような大胆な新解釈にこそ今取り組むべきだと斎藤は主張するのである。

文献

斎藤幸平 2020「人新世の「資本論」」(集英社新書)