米盛(2024)は、現代の論理学は演繹的推論に限定した論理の数学化によって大きな発展を遂げ、それは21世紀の知的革命の1つであったといえるが、もっぱら推論の形式的構造とその論証力に特化する論理学はますます現実の人間の思考の論理から離れてしまったと指摘する。そこで米盛は、人間が科学的思考を通して創造や発見を行うことで新しい諸概念を生み出し知識の拡張をもたらす動的な論理学として、アメリカの論理学者チャールズ・パースが提唱するアブダクションを主題とする「探究の論理学」を紹介する。米盛によれば、パースの探究の論理学は、現実の科学的探究の過程の中に演繹、帰納、アブダクションの3種類の推論を位置付けて、生きた探究の過程においてそれらの推論がどのような関係にあって、どんな機能・役割を果たすか、果たすべきかを示すものである。以下、米盛による解説に基づいてパースの探究の論理学を解説する。
パースの探究の論理学の詳細に入る前に、まず、論理学が扱う推論について説明しておこう。米盛によれば、推論は、前提と結論から成り立っており、いくつかの前提(既知のもの)から、それらの前提を根拠にしてある結論(未知のもの)を導き出す論理的に統制された思考過程を指す。そして、パースの探究の論理学では、推論を分析的推論と拡張的推論に分ける。分析的推論には演繹が属し、拡張的推論には帰納とアブダクションが含まれる。分析的推論もしくは演繹的推論は、前提と結論の関係が、形式的な論理関係のみによって成り立っている推論を指す。よって、分析的推論においては前提の内容の中にすでに結論の内容が含意されていて、前提から結論を導く推論の過程は前提の内容を分析し、その中に暗々裏に含まれている情報を結論において明確に述べることである。
つまり、分析的推論は経験的実在の世界の「事実の真理」の決定にはかかわらず、推論の内部における前提と結論の論理的な含意関係の分析にのみ関わる。よって、経験的事実による反証にさらされることがなく、経験から独立に成り立つ推論である。分析的推論は前提の内容を解明するために用いられ、前提が真ならば結論も真でなくてはならないという必然の関係が成り立つ。そのため、分析的推論を扱う論証の論理学は、推論の形式を実際の探究の過程または文脈から切り離して、もっぱら推論の形式的構造をもとにして推論の妥当性について研究する。つまり、前提から結論を導き出す際のその導出の形式または規則が論理的に妥当か妥当でないかを考察するが、それは推論の形式のみに依拠しており、推論の内容(前提や結論の真偽)とは無関係である。このように、分析的推論は前提の中にすでに含まれている以上のことを結論として導き出すことはできないので拡張的機能はない。
それに対し、帰納とアブダクションを含む拡張的推論は、経験に基づく推論であり、科学的発展などを通して経験的事実の世界に関する知識や情報を拡張するために用いられる推論である。拡張的推論は前提の内容以上のことを主張することで、前提の内容を超えて、前提に含まれない新しい知識や情報を与える。よって、拡張的推論は蓋然的な推論で、前提が真であっても結論は偽でありうる。つまり、推論の拡張的機能と論証力はトレードオフの関係にあり、拡張的機能において優れた推論ほど、可謬性の高い、論証力の弱い推論である。そして、同じ拡張的推論でも、帰納とアブダクションでは推論の特徴や探究プロセスでの役割が大きく異なる。帰納は、観察可能な事象における既知の事実から未知の事例への一般化を通して、ある部分に関する既知の情報からその部分が属するクラス全体について新たな情報を導き出す推論である。
帰納は、われわれが事例の中に観察したものと類似の現象の存在を推論する。つまり、あることが真でようないくつかの事例から一般化を行い、そしてそれらの事例が属しているクラス全体についても同じことが真であると推論する場合をいう。過去の経験に基づいて未知の未来の一般的事象に関する知識を与えることでもあり、部分から全体へ、特殊から普遍へ知識を拡張する推論である。一方、アブダクションは、われわれが直接観察した事実から、それらの事実とは違う種類の、しかも直接的な観察不可能な仮説的な思惟による発見をもたらす推論である。アブダクションのプロセスは(1)驚くべき事実Cが観察される、(2)しかしもしHが真であれば、Cは当然の帰結だろう。(3)よって、Hは真であると考えるべき理由がある、というものである。つまり、アブダクションは、経験的実在の世界に関する知識を発見し拡張する推論の方法である。アブダクションは、最も優れた拡張的機能を有する推論である。
要するに、帰納は観察データにもとづいて一般化を行う推論であり、アブダクションは観察データを説明するための仮説を形成する推論である。帰納の本質はある一群の事実から同種の他の一群の事実を推論する。一方、アブダクションで生み出す仮説はある1つの種類の事実から別の種類の事実を推論する。つまり、アブダクションは、われわれが直接観察したものとは違う種類の何ものかを推論する。そして、われわれにとってしばしば直接的には観察不可能な何ものかを推論する。帰納とアブダクションの推論の形式は形式論理の規則に反しており、形式論理的に妥当な推論の形式ではない。よって、先述の通り、帰納やアブダクションは、推論の形式的妥当性や論理的必然性を犠牲にして、その代わり、経験的事実の世界に関する知識を拡張するために用いられる拡張的推論である。
拡張的推論は前提から結論に至る推論の過程にある種の飛躍があり、拡張機能はこの飛躍によって達成される。帰納的飛躍は、既知の部分からその部分が属する未知のクラス全体への飛躍である。同種の観察可能な事象のクラス内における一般化の飛躍である。一方、アブダクションによる仮説的飛躍は、われわれの観察の限界をはるかに超えて、われわれが直接観察したものとはまったく違う種類の、しかも直接的には観察不可能な超越的対照の概念を確立する。また、仮説的推論は非常にしばしば直接観察できない。よって、アブダクションは帰納よりもいっそう可謬性の高い飛躍であり、帰納よりも弱い種類の推論である。さらに、アブダクションは論理的諸規則によって拘束されることはほとんどない。つまり論理的諸規則によって縛られることがないから、創造的な想像力が働く余地がある。アブダクションによって、科学的探究者は自由に想像力を働かせて仮説を発案することができるのである。
さて、パースの提唱する探究の論理学は、科学的研究において新しい諸概念を発見し知識の拡張をもたらす推論の「拡張的」機能を重視し、その観点から、拡張的か否か、どんな拡張的機能を持っているかを分析し評定する。
パースが開設する科学的探究の第一段階はアブダクションで、ある驚くべき現象の観察から出発し、その現象がなぜ起こったのかについて何らかの可能な説明を与えてくれる仮説を考え出す。探究の第二段階は演繹で、アブダクションによって提案された仮説の検討から始め、もしその仮説が真であるとしたら、その仮説から実験観察可能な諸予測を演繹的に導出する。つまり、分析的な演繹的推論によって、アブダクションによって提案された仮説の内容を分析し、その仮説に含意されている諸予測を導出し、実験的テストにかけられるよう明確に示す。探究の最後の段階が帰納で、仮説から導かれる帰結がどれだけ経験と一致するかを確かめる。そして仮説が経験的に正しいか、それとも本質的でない何らかの修正が必要か、あるいはまったく拒否すべきかを判断する。ここではわれわれの仮説がどれだけ真理に近いかを見出す。
アブダクションは探究の最初の段階で仮説を形成する推論であり、帰納は探究の最後の段階で仮説がどれだけ経験的事実と一致するかを確かめ、仮説を確証ないしは反証する操作である。アブダクションが扱う事実は「説明を要する事実」で、それをあらゆる側面において考察してそれを説明しうる仮説や理論を提案する。アブダクションが行う観察は着想のための観察である。帰納は事実を追求する。つまりアブダクションによって提案された仮説や理論を実験的にテストするのに必要な実証的諸事実を追求し、それをできるだけ多く集める。帰納が行う観察は、仮説や理論の確証ないし反証を行うための実験的実証的観察である。以上をまとめると、探究の論理学においては、わたしたち人間が経験との相互作用を通して知識を拡張していくことを可能にする拡張的な推論を重視し、その拡張性推論を構成する帰納とアブダクションは、探究の最初の段階と最後の段階で役割分担をしながら用いられる。分析的推論としての演繹はこの橋渡しをしており、このプロセスではアブダクションが発見した仮説を帰納的に検証可能な形に変換する役割を担っており、知識の拡張性はない。
文献
米盛裕二 2024「新装版 アブダクション: 仮説と発見の論理」勁草書房