成果主義は報酬におけるリスク分散機能を阻害する


企業は、従業員が、適切な方向に適切な努力をすることによって、企業利益が最大化するように、戦略や業務を設計する。そして、その適切な方向の努力を導くためのインセンティブを設計したいと考える。


成果主義をとるといっても、従業員が企業が意図したとおりの方向に適切な努力をしてくれたことに報いるべきであり、従業員がコントロールできない要因によってもたらされた成果については、本来報酬の対象とするべきではない(例えば運悪く業績が悪かった場合など)。しかし、従業員の努力を正確にモニタリングすることは不可能であるから、どうしても、成果測定の段階では、従業員の努力以外の要素も入ってしまう。これは、いわゆる誤差であり、従業員にとって、企業の意図どおりの努力をしたにも関わらず、それが報酬に正確に反映されないというリスクを意味する。


企業にとってみても、従業員が意図したとおりに努力すれば期待された業績が、その他の要因で変化してしまうわけだから、これについても誤差であり、業績変動のリスクであるといえる。


しかし、個々の従業員と、その集まりである企業全体とは、リスク許容度(体力や耐性)が異なる。例えば、企業にとって見れば、ある個人がマイナスの誤差により、努力以下の成果しかあがらなかったとすれば、別の個人はプラスの誤差により、努力以上の成果となって現われることが考えられる。そうであれば、個人の総和としての企業を考えると、誤差はゼロに近づいていく。つまり、企業組織には、個々の従業員の成果にかんするリスクを集約し、相殺し、低減させる機能を持っているのである。


上記のような理解からすると、企業は、従業員の努力が業績に反映されないリスクは総和としては小さいため、個々人のリスクに対してもリスク中立的であると考えられる。よって、仮に、従業員に均等に利益を配分するような形式の報酬制度(例えば、固定給や年功給)を採用する場合、個々の業績リスクの対価は反映しなくてもよいのである。従業員から見れば、成果によって報酬が変動しないため、ある意味、努力が成果につながらないリスクに関しては保険がかかっていると理解できるのである。


しかし、個々の従業員の成果に応じた報酬というかたちの「成果主義」にしてしまうと、各従業員にとっては、努力が報われないリスクが存在するわけであり、そのリスクの対価(リスクプレミアム)を企業に要求する。よって、企業としては、成果主義報酬を支払う場合には、従業員の努力がもたらした業績に加え、リスクプレミアムを余計に支払わなくてはならないのである。すなわち、成果主義報酬にしたことによって、ほんらい集約して相殺できるリスクを、そのまま従業員に負担させることになるため、その代償として余計に報酬原資が必要であることを意味するのである。


もちろん、成果主義にすれば、従業員に支払うリスクプレミアム分、コストが上昇するから適切ではないといっているのではない。成果主義を採用することによって、そうでない場合(たとえば年功給)よりも、望ましい方向への従業員の努力が増加するのであれば、それだけ企業利益をかさ上げすることになるから、その利益上昇分と、リスクプレミアムのコストの差をとって、それがプラスであれば、リスクプレミアムを支払っても、なお成果主義を採用することのメリットがあると結論づけることができるのである。