成長、コーヒー、松田さん

人間は成長するための努力を止めてはならない。成長するのを止めたとき、つまり現状に甘んじた瞬間から、衰退が始まってしまうからだ。
松田公太「すべては一杯のコーヒーから」

私もまったく同感である。年齢はいっさい関係ないと思う。若くても成長が止まってしまう人もいれば、高齢であっても生き生きと成長しつづける人もいる。この気持ちを常に持ち続けたい。ちなみに、本書を読んで、松田さんはすごい人だと思った。

なぜ松田君がうまくいったか.それは,コーヒーが美味しかったのと,スペシャルティコーヒーの市場参入機会が良かったのは勿論だが,いろいろな人がなぜか彼にお金を出したり取引をしてくれたりしたことが大きな要因であろう.それは,社長から出てくるオーラやエネルギー・誠実さに打たれ,心が動くということだ.もし彼がいろいろな人に気に入られなかったら,2年半での上場はあり得なかっただろう.成功は結局,応援団がつくかどうかにかかっている.名前が通っていない会社に大家さんが店を貸してくれることはほとんどないが,それでも,君がやるなら貸してやろう,と銀座の一等地の1号店の場所を貸してくれた人が松田君にはいたのである.
http://www.springer-tokyo.co.jp/science/04fall_essay3.htm

ところで、松田さんの本は、タリーズというシアトル発のコーヒーショップに関する書であるが、わたしもシアトルに5年ほど学生として住んでいて、コーヒー(エスプレッソ)には想い出がある。当時は、生活保護ももらいながら家計を切り詰めて生活していたためお金がなかった。その中で、2ドル弱をはらってアメリカーノやラテを飲むことが一日のささやかな贅沢で、勉強以外の唯一の楽しみであった。


カフェインの効いた強いエスプレッソ・コーヒーがシアトルの風土に良く会うのである。とくに、秋から冬にかけて、シアトルはほとんどが曇りで、霧雨のような雨が毎日のように降る。日照時間は月に2日くらいではないだろうか。緯度が高いので、朝はずっと薄暗く、昼間明るくなったと思ったら4時にはまた暗くなってしまう。そんな中、朝もやで寒い暗闇のなかを、白い息をはきながら眠気眼のままフードつきのマウンテンパーカーに身をつつんで(傘はめったにささない)学校に行くのだが、学校内や学校のそばのエスプレッソスタンドでコーヒーを注文して飲むときの幸福感といったらたまらないものだ。夜遅くまで勉強して睡眠不足だったりしても、この一杯で目が覚める。


寒いなかを歩いてきたあと暖かい室内に入って、授業開始までの短い時間にエスプレッソコーヒーをすする。そのひとときのなんともいえない幸福感は、お金では買えないなぁ。それはコーヒーだけに起因しているんじゃなくて、何も縛られずに異国の地で自分で決めたことをやっている、たいへんだけど生きがいを感じるという幸福感も混じっていた。お金もなくてこんなこといつまで続くかもわからないけど、現実としてそれをやっている自分がいまここにいる。そして、シアトルという緑と水に囲まれたとても美しい町。そういった幸福感も混じっていた。いまとなっては、あれは夢だったのかと思うようなひとときだ。シアトルでの生活はそれなりに苦労もしたのだろうけど辛かったことはあまり覚えていない。


いまは定職について収入も安定している。当時は、学生の身で将来どうなるかも不確実なとき。けれども、帰国してからあれほどの幸福感に勝てる経験はまだない。


引用

すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)

すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)