永遠に続く命


自分の命というのは、大きな生命の流れの中継点である。太古から流れてきた生命を、瞬間的に(宇宙時間という意味で)受け継ぎ、そして伝達していく。もちろん、個体レベルで見るならば、自分の先に、その流れは途切れるかもしれない。けれども、とめどない生命の大きな流れでみるならば、それは途絶えることなく、永遠に続いていくものなのである。人類が存在する前から、そして人類が存在しなくなったあとにも、続いていくものなのである。もちろん、人類と並行してそのほかの生き物の生命も流れている。宇宙がビックバンで生まれ、どこから生命が始まったか、そして終わりがあるのか、という問いもあるが、そうではなく、永遠に続いていると考えたほうがよさそうである。自分の命には始まりがあり(出生)、そして終わりがある(死)という考えは、あくまで1つの考え方にしかすぎない*1。出生は命の「始まり」ではなく、あくまで親の命と連続的につながっており、物理的には分離したものと見なす。そして、自分の命は、子供へとつながり、出生によって物理的に分離される。しかし、連続している生命の流れは、子孫へとにつながっていくのである。生命には始まりも終わりもなく、永遠に続くものなのである。


生命を川の水の流れにたとえるならば、水の流れを一本一本の支流単位で見るならば、どこかの小川は途中で途切れているかもしれない。これは、私たち一人一人、もしくは家系というレベルで捉えているようなものであり、家系が途絶えてしまうことは当然ある。しかし、水の流れ全体というレベルで見れば、川の流れは、海へと注がれていくのである。しかも、それで終わりではない。海の水は、雲になり、雨となり、また大地に降り注ぎ、それが川になって海に向って流れていくのである。つまり、ここでも、始まりと終わりがあるという考え方もあるが、そうではなく、水の流れは循環しており、永遠であると考えるほうがよいようである。これは自然現象をつかった例えであるが、生命というのはそういうものなのであろう。

*1:始まりと終わりというのは、人間が作り上げた概念にすぎない。世界そのものに始まりと終わりがあるわけではないのである