資本論で読み解く「資本主義の暴力性」

斎藤(2021)は、世界中に豊かさをもたらすことを約束していた資本主義が私たちの生活や地球環境を急速に悪化させているといい、このまま資本主義に人類の未来を委ねて本当に大丈夫なのかという問題意識から、「資本主義の暴力性」に注目したかたちでマルクス資本論を解説している。例えば、現代の資本主義社会において、なぜ私たちはモノに振り回され、大事なものを失っていくのか、なぜ長時間労働や過労死がなくならないのか、なぜイノベーションや生産性の向上が「どうでもよい仕事」を増やしているのか、そしてなぜ資本主義社会は自然破壊を止められないのか、について、資本主義の暴力性の視点から説明している。

 

まず、資本主義は、社会における「富」をつぎつぎと「商品」に変化させることで社会を「商品の巨大な集まり」に変化させるため、その結果、私たちが商品に振り回されるようになったと斎藤は論じる。マルクスによれば、人間が行う「労働」とは、人間が自然との物質代謝を自らの行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。つまり、人間が自然に働きかけて自らの欲求を満たす過程において、自然と人間とは循環的な物質代謝の過程を形成しており、その循環のおかげで地球環境的にも人間社会的にも健全な富が形成されていくのが本来的にサスティナブルな(持続可能な)あり方であり、資本主義以前の社会では、その循環が保たれていたといえよう。

 

しかし、資本主義社会における「労働」は「商品」を生み出し、社会を巨大な商品の集まりに変えていく。その原動力は、「絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動」と定義される「資本」である。資本が重視する価値は、売れるかどうかの「価値」であり、私たちの暮らしに役立つという意味での「使用価値」とは別物である。価値を増やしつづけること、すなわち金儲けを延々と続けるのが「資本主義」なのだと斎藤は論じる。このような資本主義社会では、かつては誰もがアクセスできる共有財産だった「富」が、資本によって独占され、貨幣を介した交換の対象としての商品に置き換わる。商品の生産の担い手である労働者は、自らの労働力を提供するだけでなく、商品の買い手となって、資本家に市場を提供するようになる。

 

そして、使用価値とは無関係に商品が社会にあふれかえり、不況による価格の暴落など、「価値」の変動に私たちは振り回されるのだと斎藤は指摘する。暮らしに役立つ「使用価値」のためにモノを作っていた時代は、人間が「物を使っていた」わけであるが、「価値」のためにモノを作る資本主義のもとでは立場が逆転し、人間がモノに振り回され、支配されるようになるというのである。これをマルクスは「物象化」という。そして、売れるかどうかの価値のみを目的とした生産の効率化は、本当に必要な物やサービスを削り、質を低下させて、社会の富を貧しくしていくと齋藤はいう。資本主義的生産様式というのは、価値を増やし、資本を増やすことを目的とする商品生産に歪められた労働を伴うのである。

 

資本主義では、価値が主体となって、その運動が「自動化」されていく。人間も自然も、その運動に従属して、利用される存在に格下げされてしまう。資本家さえも、自動化された価値増殖運動の歯車でしかないという。そのような資本主義では、労働者が有する富である労働力を商品に閉じ込めてしまう。労働者は、生産手段から切り離され、生きていくために必要なものを生産する手立てを失い、自分自身の労働力という商品を売るしか生きる手段がない。さらに、資本主義は、共同体という富を解体してしまったので、労働者は、かつて共同体にあった相互扶助の関係性からも切り離され、自分の労働力という商品だけを頼りに必死に生きていかねばならなくなった。

 

そして労働者は、どこに自分の労働力を売るかについて自由があるがゆえに、それが逆に、自分が選んだ職場や仕事という意識を生じさせ、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性が資本の論理に包摂されていくことになる。これが、現代の長時間労働や過労死にもつながっていると齋藤は分析する。さらに、イノベーションによる生産性向上は、価値の増殖のみならず労働者に対する支配を強化する。例えば機械化の進展で生産性が上がれば上がるほど、労働者は資本に包摂されて自律性を失い資本の奴隷になる。資本主義のもとで生産性が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断され、労働者は分業というシステムに組み込まれることで、何かをつくる生産能力も失っていく。よって、自分の労働力を「商品」として資本家に売ることでしか生活を維持する方法をなくしてしまったのだと齊藤はいう。

 

そして資本は、人間だけでなく、自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、その結果、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す。自然からの掠奪を放置している現役世代はそのツケを将来世代に払わせ、先進国の放埓な生活は、その代償を途上国や新興国に押し付ける。斎藤はこれを「外部化」という。本来の循環過程と資本の価値増殖過程はまったく異なる論理で営まれているので、2つの過程の間に大きな乖離が生じてしまう。地球の生態環境は有限なのに資本主義は価値増殖を無限に求めるため、資本は常にコストを外部化するが、地球が有限である以上、外部も有限であるため物質代謝の亀裂は最終的には取り返しのつかないところまで深まってしまうのである。

 

齊藤によれば、ソ連崩壊後に資本主義のグローバル化が加速したことで、資本主義の暴力性によってもたらされる環境危機もグローバル化した。人間と自然の物質代謝は、本来、円を描くように営まれれる循環的な過程であるが、資本主義の暴力性は常に労働者や自然から一方的に奪い、そのコストを一方的に外部に押し付ける。その結果、商品の消費地である都市の生活は豊かになるが、地方の農村は土壌疲弊というツケを払わされ、貧しくなっていく。そして商品の恩恵を受けている都市でも、労働者は資本に強いられる長時間労働で肉体的健康を破壊されていくのである。 

文献

斎藤幸平 2021「NHK 100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』 2021年1月」(NHK100分de名著)

 

 

誰でもリーダーシップを身に着けることができる王道とは

森岡(2020)は、リーダーシップの本質を「人を本気にさせる力」だと論じる。人々がワクワクするような未来の完成形を描き出し、それが絵空事ではなく本当に実現できそうだと信じさせる力、そしてその物語の中でその人ならではの特別な役割を演じられると相手に信じさせる力だというのである。森岡自身は、相手が演じてみたくなる物語を構想して人を巻き込んでいくストーリーテリングの能力を磨いてきたのだという。

 

では、このようなリーダーシップは一部のもって生まれた天性を持つ人にしかできない芸当なのだろうか。森岡の答えはノーである。森岡の主張は、人を動かす力としてのリーダーシップは、誰もが身に着けることができる「後天的なスキル」である。そして、その力を強くしていくほど、人生が劇的に前向きになり、意欲と興奮に満ち溢れた自分の人生を歩めるようになるというのである。では、どうすれば誰もがリーダーシップを身に着けることができるのだろうか。

 

ポイントは、リーダーシップは、本人が意識的して経験を継続することで後天的に身に着くということである。失敗してもそこから学べばリーダーシップが身についてくる。経験しなければそのような学習機会もない。要するに、リーダーシップ力の有無は、経験の違いに他ならず、トレーニングの質と量によって後天的に身に着いたかどうかという点なのである。よって、リーダーシップがある人は、その経験量が多い人、リーダーシップがない人は、その経験をしていない(する機会がなかった、しようとしなかった、あるいは怖くてできなかった)人ということなのである。

 

となると、話は簡単になってくる。森岡によれば、リーダーシップを身に着けるためにデフォルトとして必要なのが「欲」の深さである。どれだけ欲(≒夢)が強いかが、自分がリーダーシップをとることに対する恐怖感を上回ることで、意識してリーダーシップを経験しようとする原動力になるというのである。リーダーシップを身に付ければ1人では到達できない景色を見ることができる、最強スキルによる経済的リターンが手に入る、興奮と一緒の目が覚める朝が手に入るなど、いいことづくめである。

 

究極的に言えば、「素晴らしい人生を送りたい」、そのために「ある目的をどうしても実現させたい」という「欲」を強く持つことが大切なのであり、リーダーシップを身に付けることで、それが実現するということを理解すればよいのである。それが理解できれば、リーダーシップを発揮しようとしたときにうまくいかないのではないかという不安や、失敗して自分が傷つくことへの恐れや苦しさなど、大したことではなくなる。そんなことで、自分の人生を最高にするチャンスを棒に振るなんて、なんともったいないことか。

 

森岡は、人を動かす原動力となる「どうしても実現させたい目的」は、3つのWANTSで考えるのが良いとアドバイスする。1つ目は、巻き込みたい人々にとっても魅力的な目的であること、2つ目は、周囲の人々を巻き込まないと実現できない、集団としての能力を必要としている目的であること、そして3つ目は、自分自身が本気になれる目的であることである。もし、リーダーシップを志向する自分の「欲」が弱い(よって、不安や怖さが勝ってしまいリーダーシップの経験を積むことを躊躇してしまう)場合は、この3条件を満たす目的を真剣に探してみることから始めるのがよいと森岡はいう。

 

リーダーシップの経験を積み重ねることが後天的に人を動かす力を身に着ける王道であるとはいえ、リーダーシップを身に着けやすい環境を見つけてそこで泳ぐのがよいと森岡はいう。つまり、経験を通じたトレーニングには、量と質があり、質の良い環境であれば、トレーニングの効果が高まるということである。森岡によれば、その環境は3つある。1つ目は、自分の特徴を強みとして生かせる環境である。そうであれば、自分は有利な立場にあるわけだから、リーダーシップもとりやすくなる。2つ目は、「自分がやらねば!」と思いこめる環境である。周りが優秀な人ばかりだと気後れしてしまってリーダーシップをとることを躊躇してしまい、主体性の発揮を維持できない。むしろ、1点目で挙げたように自分が有利な立場にある環境で、かつ、自分が周囲からそれなりに頼りにされる環境に身を置くことがよいのである。そして3つ目は、広い視野と職責のスペースが持てる環境である。全体を見渡すことができ、かつ動ける範囲が大きいような立場に身を置くということである。全体像から視野を広く俯瞰して物事を判断する習慣がリーダーシップには必要なのである。

 

最後に、森岡の主張をシンプルにまとめると、リーダーシップは、自分自身の一度しかない人生で叶えたい夢を実現するためのスキルであり、リーダーシップを身に着ける王道は、自分が望む未来を本気で欲すること、そしてそのために本気で行動し続けることだということである。

文献

森岡毅 2020「誰もが人を動かせる! あなたの人生を変えるリーダーシップ革命 」日経BP社

 

時間は流れない、だが生命の中には時間の流れがある

橋元(2020)は、アインシュタイン相対性理論など現代物理学の知見から言えば、空間と時間は幻想だとし、かつ、時間は過去から現在、未来へと流れるものではないという。まず、相対性理論では、時間と空間は時空を構成する同一尺度(同じ単位)で捉える。ニュートン力学であれば、空間と時間は絶対的でありかつ本質的に異なるので、物質の器として固定されたユークリッド空間上を、時間とともに物体が移動すると考えることになる。しかし、時間と空間が同列に扱われる相対性理論では、時間は空間と同じものになり、モノの動きは時空上では絵として固定されてしまう。例えば、時空(ミンコフスキー空間)では「速度=距離÷時間」が意味がなくなってしまい、速度は動きを表すものではなく、(距離と時間は同じものであるため、同じ単位のものを除していることになるので)単なる数値になってしまうのである。

 

また、相対性理論では、観測事実でも確認されているとおり、時間が遅れ、空間が縮む。時間も空間も相対的であって絶対的なものではない。さらにいえば、この宇宙に客観的かつ唯一絶対な時空は存在せず、それぞれの観測者がそれぞれの時空を持っている。観測者の数だけ時空が存在する。言い換えれば、時間と空間は主観的であり幻想である。物質と時空の関係でいえば、不確定原理が示すとおり、物質(中身)と時空(器)を同時に正確に決めることができず、混然一体となっている。よって、物質が消滅して質量のない光のようなものばかりになれば、時空も消滅するのである。

 

つまり、相対性理論によれば、絶対時間とともに物体が絶対空間上を移動という発想はナンセンスであり、実際には、物体は移動せず、幻想としての時空を構成する時間軸と空間軸のそれぞれの点に対応するかたちで、それぞれの物体の位置が絵の配列として固定されているに過ぎない。つまり物体は、時間軸と空間軸からなる時空では配列という静止した状態で存在しているにすぎない。ではなぜこれを動いている、別の言い方をすれば、時間が流れている(よって動く)と感じられるのか。橋元によれば、これを理解するのに有用なのが「パラパラ漫画」の例えである。パラパラ漫画も、1コマ1コマ、静止画像があるだけで、画像は決して動かない。しかし、パラパラめくれば動いて見える。映画も同じである。時空上の物体も同じである。それぞれの時間軸上に静止した物体があるにすぎないのだが、生きている私たちがそれを知覚する際、記憶の働きによって動いて見える(すなわち時間が流れる)に過ぎないというわけである。つまり、時間が流れるように知覚されるのは、生命体が持つ記憶という働きのなせる業なのではないかという視点が出てくる。

 

現代物理学の視点から言えば、物理的な時間は流れないということに落ち着きそうである。だが、話はここで終わらない。その鍵となるのが、時間に矢がある(過去から現在、未来へという方向性があり、不可逆である)とする熱力学や散逸構造理論の発展である。エントロピーを用いた説明を行うこれらの理論からは、無数の分子の集団においては不可逆過程が観察され、時間軸に一方向しかないように見える。ただ、ここで押さえておくべきポイントは、これらの現象は、素粒子や分子が無数に存在するマクロの現象から導き出される見解にすぎないということである。つまり、時間の方向性や不可逆過程の話は、素粒子や分子が集まった全体を想定してのみ可能になる話なので、それらを構成する単一の素粒子や分子のレベルで見るならば、やはり時間の方向性も、時間の流れもないと言わざるを得ない。

 

素粒子や分子単体から見たら時間は流れないのに、これらが無数に集まったマクロの現象においては、時間に方向性がある(多くの現象が不可逆である)ように考えられるという見解は、時間の流れというのは実は生命体の内部にあるのだというロジックにつながる糸口を提供する。橋元によれば、生命体とは、エントロピー増大の法則に抗う「生きようとする意志」をもった分子機械であると考えられる。つまり、生命体というシステムは素粒子や分子が集まったマクロな物理現象として捉えることができ、そのようなシステムが、同じくマクロな物理法則(エントロピー増大の法則)に抵抗するかたちで存在していると捉えるならば、素粒子や分子単一ではありえなかった「時間の方向性」が立ち現れてくる。

 

橋元は、 生きる意志を持つということは、時間の流れを創ることと同義であるという仮説を提示する。マクロの世界で初めて登場する時間の方向性(エントロピー増大の法則)は、物理学的には静止した時間の矢にすぎないが、この時間の矢に乗って、動きすなわち時間の流れを生み出すのは生きた細胞の内部で生まれる情報のサイクルではないだろうかというのである。例えば、1つの細胞の内部において、外界の情報を処理する情報伝達のサイクルが完成したとき、細胞は記憶を持ち、そのことによりモノの動きを感知し、やがて外界の動きから時間の流れを主観的に自覚するようになり、主体としての「自分」の内部時間の流れも感じるようになる。そうすることで生き延びていく能力を獲得したというのである。

 

 エントロピー増大の向きとは、秩序が壊れていく向きである。壊れる秩序に逆らって、その秩序を保とうとするのが生命である。いわば、生命は逆境に打ち勝つ意志である。そのような意志すなわち生命体内部から、打ち勝つ対象としての外界から情報を獲得して処理する努力、過程において、不可逆過程の認識のあり方としての「時間の流れ」が生み出されるというわけである。

文献

橋元淳一郎 2020「空間は実在するか」 (インターナショナル新書)

タテ社会のメカニズム

中根(2019)は、自身のロング&ベストセラー「タテ社会の人間関係」を振り返りつつ、前著の要点を簡潔に説明している。第一に、中根が主張する、日本にみられる機能集団構成の特色は、その人が持っている個々人の属性(資格)よりも、「場」(一定の個人が集団を構成している一定の枠)による要素が強いという点である。そして、このような機能集団でのキー・コンセプトである「先輩・後輩の秩序」について以下のように解説する。

 

まず、集団が形成されることとなる「場」に最初に着いたもの(A)が頂点となり、次に着いた(B)はその下位となる。Bの次はCとなり、このようなタテの関係が、変更を許さないシステムを生む集団構成の原則となると中根はいう。このような先輩・後輩関係は、年齢に基づく長幼の序とは異なる。年齢を問わず、あくまで「その場にいつ入ったか」という順番が大切で、それが序列の基礎となっている。場に来た順番に基づく先輩・後輩が「場」において組み合っているのが「タテ社会の人間関係」である。

 

中根のいう「タテ社会」の「タテ」というのは、上から下への権力関係を表したものではなく、上と下が組み合っている関係を表現したものである。うまく組み合っていれば、下位のものが上位の者に遠慮なく発言したり、上位の者が下位の者から自分の弱点を指摘されても甘受できる。つまり、上下ともに強い依存関係が生じ、「甘え」が許される。このような関係を可能にしているのが「場」だと中根はいうのである。

 

このようにして「タテ関係」を理解すると、今度は、タテ社会における「ヨコ」の人間関係の本質も見えてくる。企業でいうならば、先に入社した先輩、後で入社した後輩がいる一方で、同じタイミングで入社した「同期入社組」がいる。「同期」という意識は、先輩・後輩の序列意識と密接不可分だと中根は説明する。中根によれば、個人と個人を結ぶ関係を「タテ」だとすれば、ヨコというのは、大きなベルトのように層をなしている。つまり、中根によれば、ヨコの場合は、個人ひとりひとりがヨコに結ばれているわけではないということになる。同質のもの全体が大きな階層という同じ枠の中におさまっている状態をヨコと表現しているのである。

 

中根は、同じ「場」を共有するタテの関係で核心といえるのが「小集団」だという。そもそも「タテ社会の人間関係」で伝えたかったことは、第一に、日本の社会構造は小集団が数珠つなぎになっていること、第二に、その小集団が封鎖的になっていることだったという。日本の職場においては、社員はリーダー格であれ新人であれ、職場の小集団に全人格的に参加することが要請され、閉ざされた小集団という世界で論理よりも感情が優先される人間関係に基づいて仕事をする。そのような人間関係のなかで、上位による下位の保護は依存によって応えられ、温情は忠誠によって応えられるというわけである。

 

このような人間関係のなかで安心してつきあえる仲間を「ウチ」とし、集団の外に位置している人々を「ソト」として区別するのも日本社会の特徴だと中根は指摘するのである。

文献

中根千枝 2019「タテ社会と現代日本」 (講談社現代新書)

 

現代思想はいかに世界を変革したか

石田(2010)は、現代思想の問いとは、私たち現代人の人間としての存在や、社会のあり方、文化や環境の成り立ちについて根本的な成立条件を問う試みだという。そのような根本的な問いは相互に結び付いて私たちの時代に固有な問題群として成立しているというのである。とりわけ、 21世紀初頭の私たちのいまの世界とはどのような世界であるのかを問うことが、現代思想の問いを立てることにつながると石田はいう。

 

知の地平すなわち、知の空間的あるいは場所的な「境界」は時代に応じて歴史的に変化していくわけだが、私たちがどの位置に立っているのか、どのような場所に自分たちを位置付けているのかによって、世界の見えも変化していくと石田はいう。よって、自分自身の立ち位置から現代の世界を問うことが現代思想の特徴でもある。ここでいう現代思想はひとつの学問領域ではなく、様々な学問領域を横断して立ち現れる「問いの領域」を指す。

 

そもそも思想とは、端的に考えるということであり、私たち一人ひとりが世界の基礎付けを自分の思考によって行うことである。問題群は多様な拡がりを持ち、知の領域は様々だけれども、それを知りながらも、ひとりで「世界を基礎づける」ことができるようになるというところが重要なポイントだと石田は指摘する。石田は、本書において、基礎理論の紹介から応用的な問題領域を解説しているが、その締めくくりとして、哲学は世界を解釈するのではなく、世界を変革することが重要だとするマルクスの言葉を引き、現代思想はたしかに世界を変革するということに役立ってきたと思うという。では、現代思想はいかに世界を変革してきたのだろうか。

 

石田は、5つの論点において現代思想による世界を変革を説明する。1点目は、現代思想は差異の思想によって世界を変革したというものである。言語には差異しかない、言語記号は差異のシステムだとする現代思想は、自分が考えている概念、自分が生きている意味、自分が現在世界を捉えている意識といった、人間が精神的なものとして経験している心的事実が実体としては存在せず、記号のシステムによって分節化された経験であるという、精神・観念・意識の実体性を否定し実体的同一性を疑うという認識を生み出したため、「同一性の原理」を基本として世界を捉える立場を逆転することにつながったというのである。

 

2点目は、現代思想は、観念の実体性を疑い、意味の実体論を否定することを通じて到達した「人間の意味の世界の恣意性」の認識を文化研究の領域に導入して発展させることにより、「文化の恣意性」の認識を生み出したということである。この考え方によれば、文化の違いは、それぞれの文化を規定している記号や言語の体系に基づいているため、別の文化は別のルールに基づいて固有の意味世界を作り出している。これは、西欧中心主義的、自民族中心主義的な文化・社会の理解に根本的な疑問符を付すこととなり、マジョリティ、マイノリティの問題に別の光を当てることにつながったということである。つまり、文化相対主義の立場が非常に重要な役割を果たすことにつながったというわけである。

 

石田による3つ目の論点は、自然と文化の区別の問題である。例えば、フロイト精神分析ラカンの構造論的精神分析などによって、性差(ジェンダー)というのは、決して生物学的な決定ではなく、言葉やイメージという象徴的次元が大きな役割を果たすことによって人間の社会や文化が制度化したものだという視点が生まれた。つまり、現代思想は、生物学的な決定論から、文化的な人間理解へというラディカルなパラダイムシフトを行ったというわけである。

 

4つ目の論点は、フーコーのような哲学者・思想家が登場し、人間の意味の活動というものが、社会的・文化的に構築されたものだという認識を発展させたことである。このように、近代人が超歴史的な同一性と考えがちな人間的事実の「構築性」に光を当てることで、例えばジェンダーや同性愛が、歴史的な社会・文化実践との関係で再考され、その社会の中での位置を変えることに貢献したと石田はいう。

 

5つ目の論点は、現代思想が、人間の文化や社会についての一元的な理解を超えて、複数的なものを基本と考える態度へと視点を転換することに重要な役割を果たしたという点である。例えば、ドゥルーズガタリに代表されるポスト構造主義では、人間の語る言語、生きている文化、性、歴史というものは、決して一元的原理で成り立っているわけでなく、様々な言語や、様々な文化、様々な歴史や様々な性によぎられて人間は生きているといったような「複数性の実践論理」によって説明し、そのことによって人間の文化理解を大きく変更し、世界を変えていく可能性を示唆したと石田は論じるのである。

 

すでに触れたとおり、現代思想は、私たち一人ひとりが世界の基礎付けを自分の思考によって行うことによって、世界を変革するための原動力を与えるものだといえよう。

文献

石田英敬 2010「現代思想の教科書」(ちくま学芸文庫)

 

なぜミクロ経済学とマクロ経済学は統合されないのか

経済学は、社会科学の中でもとりわけ、物理学に代表される自然科学的なアプローチを模した学問であるとよく言われる。物理学の世界では、ニュートンのころにはすでに、天上界を支配する現象と、地上界を支配する現象を、統一した法則によって説明することに成功し、それ以降、天体といったマクロな物理現象から、素粒子のようなミクロまでを統一して説明できる理論の構築に向けた進化を遂げてきたといえる。しかし、経済学では、大きくマクロ経済学ミクロ経済学に分かれ、マクロな経済現象とミクロな経済現象を統一して説明するような体系にはなっておらず、両者が分断されているように見える。なぜ、経済学ではマクロ経済学ミクロ経済学が統合されないのだろうか。

 

この点に関して理系の立場から説明を試みているものとして、長沼(2016)が挙げられる。長沼は「理系の目から見た経済学の発展史」というユニークな視点から経済学を眺めるというスタンスを取っているため、理系の視点から、なぜマクロ経済学ミクロ経済学が分かれてしまっているのかについての考察に結び付く記述を行っている。実際、長沼は、アダム・スミスに始まる近代経済学自体が、当時の物理を見本にして生まれたとさえ言えなくないと指摘する。その経済学に影響を与えた物理の魂とはニュートンの天体力学だと。例えば、価格などが需要と供給の間でいったりきたりを繰り返しながらバランスをとって安定するという均衡の考え方が、惑星や彗星などが太陽の周囲でバランスをとって安定した軌道を保つのになぞらえたというわけである。

 

物理の世界では、ニュートンの天体力学が天体以外にも拡張され、この世のすべてに適用しようとしたように、経済学者たちも経済のみならず社会制度も含めた一種の世界観として社会全体をとらえるようになり、このような思想から一般均衡理論が成立していったのだと長沼はいう。しかし、マクロ経済学におけるケインズ経済学などは、この流れとは著しい対照をなしていると指摘する。それはなぜかというと、一般均衡理論が示すような、ミクロなレベルでの均衡の話が正しかったとしても、それらをつなげてマクロな社会を表現しようとする際には誤差が巨大な規模で表面化していくため、この体系をそのまま適用することなど到底不可能だという考えをケインズがとったのだというのである。ミクロの話をつなげても必ずしもマクロの話にならないというわけである。この点に、ミクロ経済学マクロ経済学という2つの経済学の別れ道があったといえよう。

 

マクロ経済学において、現実のマクロ的な現象を把握するには、ミクロ的な基本原理にあまり論理的に拘泥せず、健全なコモンセンスと経験的知識に基づいて大づかみに判断するしかないというのが、イギリス経験論の態度だったのだと長沼はいう。その結果、マクロ経済学では、均衡メカニズムを万能とは考えず、数学もあまり徹底して使おうとせず、とにかくいま現在、国や社会が抱えている経済問題を解決するために、いわば一回限りの理論をつくればそれでよいというスタンスが根底にあると長沼は指摘する。ケインズには、古典派のような「ミクロ的な均衡原理を基礎に、あらゆる時代、あらゆる局面で使える経済の統一理論をつくりあげよう」という意思自体が最初から希薄だったというのである。

 

その結果、ケインズの大づかみの理論を「マクロ経済学」、均衡メカニズムを基本原理としてそれを下から積み上げていくものを「ミクロ経済学」として両者を分離し、前者は政策現場で実戦に使えるが、後者はアカデミックな世界の実験室のなかでのみ使える、基礎を探求するための学問という図式が確立したと長沼はいう。ミクロ経済学は、必ずしも現実の経済政策に使えなくてもよいことになり、アカデミックな実験室の世界で一個の学問として独立して生きることが許されるようになった。マクロ経済学では、統一性にこだわらず、使えるツールを「アート」でピックアップして組み合わせて使えばよいという態度によって経済学独自の形で数学が有効に使われるようになったというのである。 

文献

長沼 伸一郎 2016「経済数学の直観的方法 マクロ経済学編」(講談社ブルーバックス) 

リアル中国史概説

私たちが中国史を考える際、どうしても日本とのつながりを中心に、日本側から中国大陸を眺めることになるので、海を挟んだ隣国の中国は、太古より強大な統一国家で、アジアの覇権国家であったというようなイメージを持ちがちである。しかし、岡本(2019)によれば、中国は、地球上でもっとも大きく、面積比で相対的に海岸線が短いユーラシア大陸の東側、シルクロードの東端に位置する場所にあり、ユーラシア大陸の西方とのつながりが重要であり、黄河文明をはじめとして、常にユーラシア大陸の西方から文化や人が流入するなどの影響を受けてきたと捉えるほうが適切であることが示唆される。つまり、「リアル中国史」の真髄は、日本側(東側)から中国を見るのではなく、ユーラシア大陸の西側から中国を様子を見ることによって掴むことができるというわけである。

 

このような視点から中国史を理解する鍵となるのが、ユーラシアの海岸近くの湿潤地域で活動していた農耕民と、ユーラシア内陸部の乾燥地帯で活動していた遊牧民が交流する地帯から文明が生じたということである。黄河文明もそれにあたるが、西のオリエント文明から中央アジアを経由した影響を受けて生じたと考えられると岡本は指摘する。また、中華という意識が生まれた要因として、中華を囲む外夷(野蛮人)いたからこそという指摘も岡本はする。もともと中原と呼ばれる狭い範囲にあった中華は、周辺の夷とりわけ遊牧民との接触を繰り返すことで、相手を同化させると同時に、相手の文化を取り入れるなどの交渉を経て、少しずつ拡大し、淘汰を繰り返してきたのだというわけである。それがやがて秦漢帝国と呼ばれる統一国家に発展したという。

 

後漢の時代は、常に西方にいる遊牧民匈奴の脅威があった。その後、シルクロードを通じた経済活動の発展により一時は東西平和の時代が到来したが、地球の寒冷化が起こったことで民族大移動が起こり、混迷の300年が生じたと岡本はいう。寒冷化でユーラシア大陸の北の遊牧民が生存のためにやむなく南下を始めると、ヨーロッパでは大混乱が生じ、中国側でも「華夷雑居」と呼ばれるように、中国内部に異なる種族・集団が少しずつ入り込んできた。やがて、中原に住んでいた漢人以外の胡族(匈奴鮮卑、羯(けつ)、氐(てい)、羌(きょう))が作った五胡十国を経て、北の強力な異民族である柔然突厥の圧迫を受けた鮮卑北魏が南下し、南北朝北朝として華北・中原を支配するようになった。

 

隋唐の時代になると、特に唐は遊牧圏と仏教権を巻き込みながら拡大を続けた。西の突厥中央アジアのオアシス都市群を巻き込み、南の仏教圏にも進出することで、多元国家として仏教の価値観を共有し、遊牧民と農耕民を融合するレベルで南北の統合を図ったのだと岡本は解説する。特に注目すべきは、圧倒的な軍事力を持ち、南北朝を属国とさえみなしていた突厥とのパワーバランスが変化し、突厥が中原の王朝に屈服するようになったことである。もともと遊牧だけでは生活が成り立たない突厥は、シルクロードを掌握し、ペルシア系の商業民であるソグド人などともタイアップしていたのだが、唐は突厥の遊牧世界やその保護下にあるソグド人などをすべて抱え込んでいったのである。国際都市として栄えた長安を都とする多元国家・唐の繁栄はソグド人に支えられたとさえ岡本はいう。

 

多元的な政治状況をうまく捌けなくなった唐が解体していくと、突厥の後に台頭した強力なトルコ系遊牧国家ウイグルがそこに迫り、西側では吐蕃チベット)も勢力を拡大してきた。8世紀から9世紀にかけて、温暖化などの影響でウイグルが東から西へ移動し、中央アジアのトルコ化が進むと、ウイグル人が抜けた東アジアで、モンゴル系・ツングース系の遊牧民・狩猟民が力を持つようになったと岡本はいう。モンゴル系遊牧民で代表的なのが契丹で、ツングース系狩猟民は、唐の時代に渤海を建国しており、契丹を打倒するなど東側から台頭して草原地帯を制覇していった。ウイグルに続き、ツングース系民族の金王朝に追われた契丹も西に移動したが、モンゴリアあたりの草原の一部に空白地帯が生じたことから部族同士の争いが激化し、その混沌を勝ち抜いて登場したのが、後に大帝国を築くモンゴル部族であったと岡本はいう。

 

 モンゴル帝国がユーラシアを貫通すると、中央アジアを拠点として中国内を始めとして各地に帝国の影響が及んだ。商業資本が各地に拡大し、中央アジア出身のトルコ系ウイグルイラン系ムスリムなどの色目人が活躍した。しかし、地球の寒冷化が始まるとヨーロッパでは黒死病が、ユーラシアの他の地域でも疫病が蔓延し、農作物の作柄も悪化し、ユーラシア世界が一転して大不況に陥り、モンゴル帝国も衰退したと岡本は指摘する。その結果、中央アジア自体も東アジアとの関係が希薄になり、イスラーム化が進展して、東西を結ぶ懸け橋から東西を隔てる障壁に転化してしまったのだというのである。そして中国では、モンゴル帝国の混一(遊牧民と農耕民、商人と軍隊など多元的なユニットの共存)への抵抗と否定から、農耕世界だけの分離・独立と中華と外夷の分断’(華夷殊別)を基本方針とし、漢民族だけの王朝を目指した明朝が勃興したと岡本は解説する。

 

ところが、北虜南倭と呼ばれるとおり、明朝は、北はモンゴルなどの遊牧民、南は倭寇に苦しむこととなり、遼東地域においてツングース系ジュシェン(女真)である満州人が団結し、後金として政治的に力を持つようになったことから、清朝政権が起こったという。清朝政権は一転して華夷殊別から華夷一家を志向し、かつての明朝だった中国全土に加え、モンゴルとチベットを帰服された。さらにその後、モンゴルとの絡みで中央アジアの東半分にあたる東トルキスタンも取り込み、きわめて大きな版図と多元的な人々を抱えた政権に発展した。満州人に漢人、モンゴル人、チベット人ムスリムも加わったすべてを清朝の皇帝がすべて統治するという形だったのだという。

 

その後、大航海時代の影響で中国には南北の違いに加えて東西の違いも生まれ、空間的にもバラバラとなり、ヨーロッパのアジアへの進出とともに中国社会の多元構造がいっそう深刻かつ鮮明になったと岡本はいう。そこで、ヨーロッパの近代国家やそれを見習った日本をモデルとする国民国家の形成を目指したが、単一構造的な社会だからこそ生まれた国民国家を多元的な中国社会に適応するには無理があった。つまり、国民国家形成というイデオロギーと、歴史的に多元性をきわめてきた現実のあいだには容易に埋められない深いギャップがある。埋まるまで永遠に革命を続けなければならない。ここに、今日も続く中国の混迷と苦悩の出発点があると岡本は指摘するのである。 

文献

岡本隆司 2019「世界史とつなげて学ぶ 中国全史」東洋経済新報社